日記・コラム・つぶやき

2017年8月16日 (水)

72年目の「敗戦記念日」に

この812日から15日にかけて連日放送された「NHKスペシャル」(NHK総合テレビ)は、本当に見ごたえがあった。

 

「本土空襲全記録」「731部隊の真実 エリート医学者と人体実験」「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」「戦慄の記録 インパール」で、自分は「樺太地上戦〜」のみ見逃したが、18日深夜に再放送があるので、それを楽しみにしている。

 

いずれも太平洋戦争当時の日本および日本軍について、アメリカの国立公文書館など海外の公式ライブラリーで入手した資料をもとに綿密な調査・分析をしたもので、それぞれの残された映像やメモなどの記録、生存者の証言など、事実の重みに圧倒され続けた。

 

もちろん、こうした特集は以前にも何度か行われている。自分はそれらのすべてを見ているわけではないが、今回の特集は過去のものによくあった「戦争は悲惨で残酷」という被害者からの視点とは少々異なり、ある一点を強調していると思えた。

 

その一点とは、「個人の責任」を厳しく追及したということだ。

 

たとえば「731部隊の真実 エリート医学者と人体実験」では、731部隊長である石井四郎自身が京都大学の医学部出身だったことから、当時京大医学部長で石井と旧知の仲だった戸田正三が軍と結びつき、多額の研究費を集めていたこと。そして同助教授だった田部井和など11人の医学者が満州に駐留していた731部隊に将校待遇で迎えられ、現地で捕らえた中国人たち3000人に、細菌などの人体実験を繰り返していたこと。戦争が終わりに近づくと、証拠隠滅のためにすべての現地人を殺害したうえで自分たちだけ先に日本へ逃げ帰り、戸田を含めて誰ひとりとして罪に問われることもなく、戦後それぞれの権威として出世していること。

 

また「戦慄の記録 インパール」では、現地司令官の牟田口廉也中将らが戦局の困難であることを知りつつ、中止する機会もありながら、そのまま無謀な計画を続行させて大量の死者を出したこと。さらに作戦の大本を決める大本営が、作戦中止後、それらの作戦を指示したことは一切ないとシラを切り通していたこと。そして牟田口自身も戦後、何ら責任を問われることなく寿命を全うしたこと。

 

言うまでもないが、どんな組織にもトップがあり、トップはその組織が行ったことの責任を取る。ところが、旧日本軍では軍人も協力した政治家も民間人も、トップや上層部が責任を取らないケースが多かった。先に上げたケースに限らず、最前線で戦った兵隊たちはボロ雑巾のように使い捨てられて死んでいったが、ピラミッドの上の方にいる幹部やエリート将校は何食わぬ顔で帰国し、戦後も責任を問われることなく、軍隊時の人脈などを使って出世し、天寿を全うしたという例が多い。

 

よく知られている東京裁判(極東軍事裁判)では、確かに東条英機など裁かれた軍人・政治家はいたが、その数は死刑・終身禁固刑併せても30名足らず。また「731部隊の真実」でも描かれたハバロフスク裁判のように、外国で捕虜となり裁かれた人間も少なからずいたが、もっと罪の重い指揮官や作戦参謀たちは、とっとと逃げ出していたのである。

 

これらの「責任を取らない」上層部の人間たちを、我々はどこかで見たことがないだろうか。そう、現在の安倍晋三首相はじめする政治家や官僚たちも、まさに自分たちのやったことに対して「責任を取らない」人々である。しかも、そのまま消えてゆくのではなく、あの731部隊で人体実験を主導した医学者たちのように、どんどん出世していっている。

 

戦後72年経っても、日本人は何も変わっていないということだ。

 

よく言われることだが、「終戦記念日」という表現はおかしいと自分も思う。

「終戦」というのは他人事のような感じだが、自分たちの国、日本が負けたのだから、正しくは「敗戦記念日」とするべきだ。日本という国も、日本人も敗れたのだ。ここにまず、日本人の責任逃れがある。「庶民はわけのわからないまま戦争に巻き込まれ、大事な人を殺され家も焼かれ財産も失った被害者だ」という言い方があるが、それはおかしい。では戦争が始まる前に、戦争へ向かっていく流れに反対の意志表示をしたのか。戦争が始まってからも反対したのか。「今のような何でも言える世の中ではなかった」と言われる。しかし、「何でも言える世の中にしようとしなかった」のもまた日本国民だろう。日本人の多くは積極的に戦争に協力し、戦果に喝采した。それは事実だ。都合のいい被害者意識を持った人間が多すぎる。昔も今も。

 

戦争が終わってからも、日本人は「責任を取らない」同胞たちを裁こうとしなかった。

もちろん、食うために精一杯で、そんなことなどやっていられなかったのかもしれない。しかし、日本を戦争に導いた最高責任者である昭和天皇の責任すら、日本人は問わなかった。

 

自分は戦後20年経ってから生まれた人間だが、よく覚えていることがある。

1988年に長崎の本島等市長(当時)が「(昭和)天皇に戦争責任はあると思う」と発言し、その約1年半後、右翼に銃撃されて重傷を負った事件があった。銃撃されたのは、もちろんこの発言が大きく報道されたからだ。

 

しかし、「天皇に戦争責任がある」なんてことは、当たり前の話である。

 

太平洋戦争の開戦時は大日本帝国憲法下にあったので、天皇は「天皇大権」という広範な権限を有していた。もちろん陸海軍も天皇の統帥下にあった。実際の運用は違っていたが、建前はそうであった。だからこそ日本軍は「皇軍」と呼ばれ、「上官の命令は天皇陛下のご命令」と言われて一兵卒は上官にぶん殴られ続け、「醜の御楯(天皇を外敵から防ぐ者)として死ね」と言われたのだ。

また、よく知られているように、天皇が開戦の詔勅(公文書)を出さなければ戦争はできなかった。これもよく覚えているが、昭和天皇が崩御した際、3日間にわたってNHKと全民放でCMを挟まずに延々と流された追悼番組があり、そこで執拗に繰り返されたのが、「天皇が最終的に終戦の判断をしたから戦争が終わった」という天皇賛美の物言いである。しかし、終戦は自分の手柄だが開戦には責任がない、という都合のいい物言いが、どこで通用するだろうか。「天皇は軍部に利用された」というのなら、そもそも自分が統帥すべき軍部に逆に利用され、300万人もの死者を出した責任はどう取るのか?

 

しかし結果として、昭和天皇は新憲法下で天皇という立場のまま「象徴」として生き、天寿を全うした。その方法で責任を取ったとも考えられなくはないし、それはそれで苦悩多き後半生だったろう。しかし、自らの「戦争に対する責任」を考えるなら、映画『大日本帝国』を書いた脚本家・笠原和夫が言ったように、昭和天皇は自決するか退位すべきだったと思う。そうすれば、責任を取らなかったあまたの日本人たちも責任を取らざるをえなかっただろうし、72年後の今日、責任を取らない政治家や官僚が当たり前のような顔をしてのさばることもなかっただろう。

 

今回のNHKスペシャルでは、上層部だけではなく、命令に従って罪もない人間に手をかけたり、同僚を見殺しにした一兵卒の責任も厳しく追求している。現在すでに年老いた彼らが、泣きながらその罪を告白し懺悔する姿を、しっかりとカメラで捉えている。

 

日本人は他人任せ、上司任せ、会社任せ、国任せではなく、自分で自分の生き方を考え、選び、主張し、行動し、そしてその責任を引き受けなければならない。

 

あの悲劇を繰り返さないためにも、日本人は変わらければならない。

自分はそんなふうに、番組制作者のメッセージを受け取った。

2017年6月11日 (日)

責任者のいない国

ここのところ、「責任」ということをよく考える。

もう4~5年も前に派遣で働いていたある会社の社員の人たちと、俺のお別れ会で飲んだ時に、当時まだ30代前半くらいだった主任クラスの人が言っていた言葉を思い出す。

 

「……今は誰も責任を取ろうとしないんですよ。」

 

その言葉が、年々自分の中で重く、大きくなっている。

 

俺は、1960~70年代に作られた日本映画、それも1週間や2週間単位で上映されては消えていったプログラムピクチャーを観るのがとても好きだ。その中には傑作、秀作もあれば凡作、愚作もある。当時の基準は、客が入れば傑作、入らなければ愚作だったが、当時ほとんど評価されなかった作品が、数十年の時を経て「傑作」だと言われることも少なくない。

 

特に日本映画の場合は、まず評価されるのは監督であり、俳優である。最近になってようやくプロデューサーや脚本家、キャメラマン、音楽、美術にも日が当たるようになったが、彼らはあくまで脇役扱いだ。黒澤明監督の映画は、何十人、何百人というスタッフやキャストが関わっているが、評価されるのはまず黒澤、次に主演の三船敏郎であり、脚本の小国英雄や音楽の早坂文雄などは、映画ファン以外には名前すら知られていない。

 

しかし、たとえば日本映画史上に残る名作と謳われる『七人の侍』。この作品は、膨大な制作費と制作期間を要し、公開のめどが立たなかったため、一時は製作中止にまで至ったことで知られるが、その際、日数と予算オーバーの責任を取って辞表を出したのは、当時まだ東宝社員だった監督の黒澤明でもなく、製作者(プロデューサー)の本木荘二郎でもない。撮影所長である。

 

結局、撮影が再開されることになり、この撮影所長も復帰したが、もしも中止のままなら、この撮影所長は当然、東宝を去っていただろう。

 

考えてみると、なぜさしたる権限もなかったはずの撮影所長が責任を取る必要があったのか疑問だが、誰かが責任を取ろうとしなければ、ことが収まらなかったのは確かだろう。

 

現在、日本映画の多くは、「製作委員会方式」で作られている。その映画に資本を投下している複数の企業が「◯◯◯◯(映画の題名)製作委員会」を立ち上げ、製作母体とする方式だ。『七人の侍』は、東宝という映画会社が製作し、配給も行っていたが、その製作の役割を「◯◯◯◯製作委員会」が受け持っている。

 

当然ながら、この製作委員会方式は合議制だ。である以上、責任も分散する。何か不始末があっても、誰か一人が辞表を出せば終わるわけでもない。リスクも分散されるわけだ。

 

しかし、リスクや責任が分散されるということは、評価も批判も、特定の一個人に向けられることはないということでもある。もちろん客が入らなかった場合、監督が批判されることはあるが、それよりもなぜその監督を起用したかということで、「製作委員会」にかかわっている複数の人間が批判され、企業が損失を被る=責任を取ることになる。

 

とはいっても、もちろんそれでその企業が傾いたりすることはない。そのための、つまりリスクを分散させるための「製作委員会方式」だからだ。

 

しかし、と思う。そんな、誰が責任を取るのかが曖昧な、言い換えれば製作主体が曖昧な作品が、果たして本当に面白いものになるんだろうか。

 

合議制というのは、要するに最大公約数ということだ。一致点とは妥協点だ。関わる人の数が多ければ、それだけ配慮せざるを得ないところも多くなる。その結果、批判されにくい、当たり障りのない内容になりやすい。しかし、そんな作品が本当に面白いのか?

 

今日、俺は渋谷にあるシネマヴェーラという映画館で、1969年に東映で作られた作品と、1970年に日活で作られた作品を観てきた。片方は変態やゲイが登場し、もう片方は「せむし男」が登場する。いずれも今なら「製作委員会」による事前打ち合わせの段階でオミットされるだろう。しかし、そんな「配慮された」作品が面白いとは、俺にはとても思えない。

 

映画というのは、今でこそ健全な娯楽と思われているが、かつては映画館というのは「不良の行くところ」だった。それは年輩者の証言だけでなく、昭和40年代に小学生だった自分にも記憶がある。アニメか何かと間違えて東映の封切館に入ったとき、おそらく『山口組三代目』あたりのヤクザ映画を上映していたんだろうと思うが、「健全な大人たち」とは言えないような客席の雰囲気に、あわてて小屋を飛び出したことを覚えている。

 

それは極端な例かもしれないが、大衆というのは本来、怖いものやいやらしさ、下品さを好み、誰かをバカにして笑うのが好きなのだと俺は思う。テレビのワイドショーで芸能人の恋愛沙汰や下ネタ関係が受けるのと同じだ。かつての映画は、それをフィクションとして大衆にわかりやすく提示していた。そこに全方位的な「配慮」などを入れてしまったら、何も表現できなくなってしまうだろう。

 

かつての映画会社は、会社の責任で、つまり製作と配給の両面で、そんな表現を堂々とやっていた。東映などは1960年代後半に、当時、製作本部長だった岡田茂自らが「エロ路線で行け」と号令を発した。それが当たったので、岡田茂はのちに社長、会長へと上り詰めたのだ。もし、失敗していたら、岡田茂は当然、責任を取っていただろう。

 

自分がリアルタイムで観た角川映画も、ほとんどは角川春樹という一個人がプロデュースしたものだった。個人的に一番好きな角川映画である『時をかける少女』も、原田知世にマジ惚れした角川春樹が大林宣彦監督とともに作り上げた作品だ。そもそも、周囲の反対を押し切って原田知世をオーディションで選んだのも角川春樹本人である。

 

映画の話に終始してしまったが、もちろんこれは映画だけの話ではない。政治も社会も文化も、今の日本がつまらないのは、こうしたリスク=責任を負おうとしない、あるいは責任を負わせない人間が、あちらこちらにはびこっているからだと思う。

 

現在の天皇は、ひとりの人間として発言し、退位を希望した。そして、退位は受け入れられた。

 

かつて菅直人は、一総理大臣として浜岡原発の停止を要請し、その結果、原発は止まった。

 

トップが、誰のせいにもせず、自らの責任を明らかにして行動すれば、事態は動くのである。

2016年2月27日 (土)

『エロ本黄金時代』を読んで(其の一)

最近、立て続けにアダルト業界の本を読んでいる。

 

きっかけは、昨年上梓された『エロ本黄金時代』(本橋信宏、東良美季・著、河出書房新社)という本を読んだことだった。

 

1970年代後期から1980年代初期にかけて、エロ本、すなわち成人男性向け雑誌が異様な盛り上がりを見せたことがある。もちろんエロ本と呼ばれるものはそれ以前から存在していたが、それが一種アナーキーな様相を呈してきたのが、この時期だった。

 

たとえば『写真時代』(白夜書房)。そして『JAM』(エルシー企画)、『Heaven』(群雄社)、『劇画アリス』(アリス出版)といった本がそうだった。

 

『写真時代』は、のちに『パチンコ必勝ガイド』という雑誌を作ってパチンコブームの立役者となった編集者・末井昭による雑誌。アラーキーこと荒木経惟によるヌード写真のほか、ブレイク前の赤瀬川原平、糸井重里、南伸坊によるエッセイ、岡崎京子の漫画など、今から見れば錚々たるメンツに原稿を依頼し、たとえばそこから「超芸術トマソン」などが生まれた。

 

JAM』は、アンダーグラウンド(今で言えばインディーズ系)のミュージシャンだった山崎春美(ガセネタ→タコ)らが編集し、当時スーパーアイドルだった山口百恵宅から出されたゴミを漁って撮った写真を掲載するなどして話題を呼んだ。その後山崎は『Heaven』の編集にもかかわるが精神を病んで帰郷。その後は現在精神科医兼ライターとして活躍する香山リカらが編集を担当したという。そして『劇画アリス』は、のちに作家・コラムニストとなる亀和田武が編集を担当。同誌に吾妻ひでおの名作「不条理日記」を連載させた。

 

関わった面々からわかるように、これらのエロ本は、今で言えばサブカル、あるいは反体制色のかなり強い雑誌だったと思われる。70年代後半に小学生だった自分は、後期の『写真時代』を除けばこれらの雑誌を実際に読んだわけではないので確証はないが、おそらくエロ本としての「実用性」は、かなり低かったのではないだろうか? それを裏付けるかのように、1988年まで続いた『写真時代』を除けば、それらの雑誌はあまり長続きしなかった。

 

しかし、当時の彼ら=作り手にとって、そんなことはどうでもいいことだったのだろう。末井昭あたりだったと思うが、「『エロ』さえ押さえておけば、後はどんな好きなことをやってもいいのがエロ本なんだ」という発言を、何かの本で読んだことがある。そしてその「精神」は、1971年から始まった「日活ロマンポルノ」とまったく同じだ。

 

現在、ロマンポルノの名作と評される作品をいくつも監督してきた神代辰巳や田中登は生前、「(特に初期の)ロマンポルノには自由さがあった」と語っている。SEXシーンさえ描けば、それ以外のテーマやストーリー、演出は自由にできるという意味だ。

 

実際に当時のロマンポルノを観てみると、―もちろん40数年という時代のギャップはあるが―果たして観客の男性たちはこれで劣情を催していたのか? と疑わしい作品がいくつもある。つまり「実用性」よりも映画作品として見応えあるものになってしまっているのだ。

 

神代や田中は長年、それまでの日活で助監督として過ごしてきた。「早く自分の作品が撮りたい」と思っていた神代は、「痴漢ブルース」と題された自作のシナリオを会社に提出したが、当時の日活では採用されなかった。しかし日活がロマンポルノ路線になると、一転して自分の作りたいような内容の作品が作れるようになった、と神代は述懐している。それは田中も同じだったようだ。

 

『エロ本黄金時代』を読んで感じるのも、そうしたある種のアナーキーさを伴った自由さだ。

 

 

…と、ここまでは他人事のように書いてきたが、実は自分もアダルト業界にいたことがある。

ここからはまたさらに長くなるので、以下次号(笑)。

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2015年12月27日 (日)

昭和は、1945年8月15日で終わるべきだった

「戦後70年」の今年もあと数日で終わる。

 

この「戦後」とは、言うまでもなく太平洋戦争、ないし第二次世界大戦での敗戦後、という意味。そう、「終戦」ではなく敗戦だ。

 

日本は負けたのに「終戦」というのはおかしいと子供の頃から思っていたが、考えてみるとこの言い換えこそ、日本的ごまかしだと思う。
そしてそのごまかしは、今年成立してしまった「平和安全法制」=戦争法案まで続いている。

 

70年前、日本はアメリカを主体とする連合国軍に負け、彼らのポツダム宣言(無条件降伏)を受け入れて戦争が終わった。明らかに敗戦なのになぜ「終戦」とするか。それは「責任」を問われないためだと思う。

 

どんなスポーツでも敗ければその原因・理由が問われる。ましてや本物の戦争なら、「なぜ負けたのか」「なぜ負ける戦いをしたのか」「その責任者は誰か」という問いがなされるのは当たり前だ。

 

ところが実に奇妙なことに、70年前の敗戦について日本という国は、自ら責任者を確定してこなかった。
確かに極東軍事裁判(東京裁判)はあったが、あれは連合国側の主導で「平和に対する罪」「人道に対する罪」「戦争(国際法)に対する罪」を一方的に裁いたもの。その後、日本がGHQの占領より独立してから、改めて太平洋戦争(連合国との戦争)やその前の中国との戦争について責任者が裁かれたり責任を追求されたりしたことは、今に至るまでない。

 

しかも、これらの戦争の最高責任者、すなわち昭和天皇はGHQの占領政策によって責任を不問とされ、日本国憲法の発布によって元首から「国の象徴」というよくわからないものに立場を変えたものの、自らは何の責任も取らず、87歳の死に至るまで天皇で在り続けた。

 

自分は、1945年8月15日で昭和が終わらなかったこと、つまり昭和天皇が戦争についての責任を取って退位するか自決しなかったこと、そして日本人がそれを許してしまったことが、現在までの日本人の無責任さにつながっていると思えてならない。

 

それはそうだろう。どんな組織、会社でも倒産したら、そのトップは責任を取る。
1945年8月15日は日本国が倒産した日だから、そこで実際に権力があったかどうかはともかく(俺はあったと思うが)、名目上の最高責任者である天皇が天皇のままでいたことが、「誰も責任を取らないでいい」という戦後日本人の悪しき習性のルーツになっていると思えてならない。(現在の明仁天皇はそれをよくわかっているからこそ、「平和憲法を守りましょう」と繰り返し訴えているのだと思う)

 

逆に1945年8月15日で昭和天皇が天皇であることをやめておけば、おそらく旧体制で政財官のリーダーだった人間たちもそれに従わざるを得なかっただろう。もちろん、関東軍とともに満州を牛耳っていた岸信介も政界から引退せざるを得なかったはずで、安倍晋三も今の地位にはいなかっただろう。

 

もっと言えば、日本は本土決戦をした方が良かったのかもしれない。

 

岡本喜八が1967年に監督した映画『日本のいちばん長い日』が今年リメイクされ、公開された。自分は未見だが、予告編を見る限り、本木雅弘が演じた昭和天皇の「苦悩」が表に出た内容のようだ。

 

旧作でも今回のリメイク版でも、ポツダム宣言を拒み徹底抗戦を叫ぶ陸軍将校の一部が、1945年8月14日、つまり敗戦前日にクーデターを起こそうとする場面があり、これは史実である。
岡本喜八版の『日本のいちばん長い日』は、もう何度観たかわからないが、かつて自分はその陸軍将校たちを悪役として捉えていた。しかしよく考えてみれば、国内外での多くの戦死者・病死者や、特攻で死んで行った若者たちのことを考えれば、庶民はともかく昭和天皇をはじめ最高司令部の参謀や政治家たちがおめおめ生き残るのはおかしいと考えるのが当然かもしれない。そうして旧体制の人間たちが死に絶えた後、新しい日本を作る人材が生まれるのだと。

 

もちろんそうなっていれば自分も生まれていないかもしれないし、高度成長どころか日本という国自体がなくなっている可能性もあるが、個人が責任を取るという自覚のある国民性に生まれ変わった可能性も大きいはずだ。

 

今の安倍首相とその政権のやることなすことを見ていると、「責任を取る」と言いながら何ひとつ責任を取らない、まったく無責任な姿しか見えてこない。見えてくるのは、「自分(たち)だけが利益を享受できればそれでいい」という姿勢である。

 

いや、政治家だけではない。自らの行為がもたらす社会的責任や影響に思いを致すことなく、「会社のためだから」「上からの指示だから」と「職務」を遂行し、自分には責任はないと考えるサラリーマンもそうだ。

 

もっと言えば、沖縄(辺野古)がどうなろうと自分の住む本土が安泰ならそれでいいという人、子や孫が貧困に喘ぎ、もしかしたら徴兵されるかもしれなくても、自分が死ぬまで安泰ならそれでいいとする中年・老人も同じだ。

 

当たり前だが、「責任」というのは自分がやったことは自分で落とし前をつける、ということだ。あなたが町中で路上にゴミを捨てて、それで町がゴミだらけになったら、捨てたあなたの責任だから、非難されるのは当然だ。それと同じく、自民党に投票すれば、投票した責任があるし、投票しなければしなかった責任が生じる。

 

戦後70年の終わりに考えるべきは、そういうことではないか。

これは、「年忘れ」とか「忘年会」と称して、忘れるべきことではないと思う。

2015年5月 4日 (月)

一日遅れで考えた日本国憲法

 このあいだTwitterで、宮沢章夫が大瀧詠一のこんな言葉を紹介していた。

「日本人は歴史を寸断して考えるでしょ? 忘年会やるからダメなんだよ(笑)」

 まったくそのとおりだなと思う。もちろん、その年を忘れようとして忘年会をやっている日本人はあまりいないだろうが、「年忘れ」しようとする心性が問題だ、と大瀧詠一は言っていたわけだ。

 本当に日本人は過去をチャラにしたがる。気まぐれな女のように、古いものをあっさり捨てて、新しいものに飛びつく。それは新陳代謝としてはいいことかもしれない。だが、その「今」は過去があって成り立っているのだから、過去に何をしてきたのかを振り返ってみなければ、これから何をすべきなのか、見えてこない。実際、多くの人はある程度の年齡になると、自分自身のことについては、無意識であってもそうした作業をしているはずだ。

 ところが、日本人は自分の生きてきた国については、その作業をなぜかやろうとしない。それが自分にはとても不思議だが、そういうことは政治家とか学者が考えることで、自分がやる(べき)ことじゃない、とでも思っているのだろうか。

 自分の過去がどうだったのかがわからないと、とても不安なはずだ。同様に、自分の生きてきた、そして今後も暮らす国が過去に何を経験してきたのかがわからないと、とても不安なはずなのだが。

 あ、いやいや。ことさら、「国の過去」なんて難しそうな歴史の本を読んでお勉強しなくても、日本という国が過去に何を経験してきたのかを知る手がかりなんて、実はそこらじゅうに転がっているのだ。たとえば――

 1966年に作られた、『クレージーだよ奇想天外』という映画がある。地球より文明の発達したα星から、地球全体を平和な星にするため、憲法で戦争を放棄している日本へ派遣された宇宙人・ミステイク7の物語だ。

 地球人(桜井センリ)の身体を借りたミステイク7(谷啓)は、自衛隊の兵器を作っている総合商社(三菱あたりがモデルか?)に新入社員として入社。新人研修で自衛隊に行かされることになり、「日本は軍隊を持たないと憲法で決まっているのに、戦車とか武器を持っている自衛隊は軍隊じゃないの?」と素朴な疑問を社長(ハナ肇)にぶつける。その後、自衛隊研修に行っても銃を放り投げてリタイアするなど、まさに真正面から自衛隊批判=政権批判をした内容で、三菱などの大銀行は東宝のような映画会社に莫大な融資をしていたはずだから、よくこの企画が通ったと思うが、当時は娯楽映画でも、そんな気骨ある映画人がいたのだ。

 なお、社会風刺のクレージー映画でいえば、早坂暁・佐々木守脚本、須川栄三監督、植木等主演で1968年に公開された『日本一の裏切り男』が最高峰。特攻隊で生き残った男が戦後一転して金儲けに走り、なんでもかんでも売ってしまい、最後には日本国まで売ってしまうという、カラカラに乾いた話である。

 いささか脱線したが、先日、CSでこの『クレージーだよ奇想天外』を再見して、自分の子供の頃は「自衛隊は違憲」というのが一般的な論調だったことを思い出した。いや、今でも自衛隊は違憲である。けれどそのことを誰も言わなくなった。それが良くなかったと思う。だから、勝手に憲法をねじ曲げるような首相や政権が出てきてしまったのだ。

 自分は、自衛隊は災害救助隊でいいと思う。武器は最低限あればいい、としてしまったら、じゃあ最低限のレベルはどこなのか、という話になるので、警官同様、護身レベルでいいとする。つまり丸腰でいい。米軍基地もいらない。つまり日米安保もいらない。じゃあ外国に攻められ放題じゃないか、と言われるだろうが、そのとおり。それでいい。日本は武器を持ちません。丸腰ですと、丸腰であることを世界にアピールする。丸腰の国を攻める国が正義であるはずはないですよね、という国際世論を醸成する。同時に、これはみんな丸腰になりましょうよというアピールでもある。もうそれだけで間違いなく、日本という国は、世界の中で存在価値がある国になる。それが日本の正しい道だと思う。

 今の政権の大義名分は、「現実に合わせて憲法を変えよう」というもの。であれば、「憲法に合わせて現実を変える」ことのほうが、より現実的だと思う。なぜなら、現実は時間の経過とともにどんどん変わっていくから、それに合わせて憲法を変えると、際限なく変え続けないといけなくなる。それは現実的ではないし、そういうものは憲法ではない。憲法とは、国の目指す理想なのだから。

 今年、朝日新聞が行った世論調査で、憲法9条を変える方がいいという人が29%、変えない方がいいという人が63%だったそうだ。他の新聞社によるアンケートなら、「変える方がいい」はもっと多いだろう。

 しかし、戦争をしなくていい憲法を、戦争できる憲法に変えて、得するのは戦争に行かずして金儲けのできる、ごく一部の人でしかない。それはおそらく日本の全人口の1%もいないだろう。

 理想ではなく、そういう「現実」を、日本人は、もっとよく考えた方がいいと思う。

2015年1月 1日 (木)

年頭所感。

今年で自分は50歳になる。

 

人生五十年、とよく言われるが、調べたところ正しくは「人間五十年」。

織田信長が好んで謡ったという幸若舞(能・歌舞伎の原型)「敦盛」の一節「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」から来ている。

 

いずれにしても、だいたい100年ほど昔はそのあたりが寿命だったようなので、自分もその時代の人なら、そろそろお迎えがくる年齢になったわけだ。

 

厚生労働省の統計では、20147月時点での日本人男性の平均寿命は80.21歳だそうだ。

50歳ならあと30年あるとも言えるが、あと30年しかないとも言える。

それに、自分はあと30年も生きたくはない。

いいところあと20年生きれば、じゅうぶんだという気がする。

 

そもそも、人間はそんなに長生きすべきなのだろうか。

 

年を経るごとに、少子高齢化社会が進んでいる。

その原因はいろいろあると思うが、大きな理由は年寄りが死なないからだ。

 

先ほど、100年ほど昔は50歳ごろが寿命だったようだ、と書いたが、今から70年前の日本も、男性の平均寿命はだいたい50歳だった。

それは戦争があったからだが、自分が生まれた50年前、1965年でも、男の平均寿命は65歳くらいである。

それから10年ごとに5歳程度上昇してきているので、このままいけば2020年には85歳、2025年には90歳くらいになるのかもしれない。

 

しかし、そんな年寄りばかりの世の中で、本当にいいのだろうかと思う。

 

誰だって死にたくはないだろう。もちろん自分も同じだ。

けれど、物事には限度というものがあるはずだ。

いつまでも生きていられるからといって、生きていていいものだろうか。

 

歳を取れば、身体は衰える。若いころに普通だったことができなくなる。

家族や周りの人などに迷惑をかけることも出てくる。

それでも人は生き続けるべきなのかどうか。

 

そういう状態になったら、自ら消える、つまり死を選ぶべきだと思う。

自分は独身で子供もいないので、こう思うのかもしれないが、そうした節度が、今を生きる大人たちには必要だと思う。

 

もちろん、それは誰かに強制されるべきではない。

自分の意志で決めるべきだと思う。

 

まあ、そういうわけで、自分は残りの人生をあと20年と規定して、70歳になったら、世の中から消えるつもりでいる。

もちろん、そうなる前に事故とか病気で死んでしまうかもしれないが。

 

で、生きている間に何をやるかだが。

 

最近気がついたのだが、自分の優先順位としては、まずは音楽。その次が他の趣味。最後が仕事となっている。

 

いつからそういうふうになったのかは定かではないが、多分、3.11以降ではないかと自分ではにらんでいる。

 

自分は長年、編集とか文章を書く仕事をしてきたのだが、本当に情熱を持っていたのは、2011年に自費出版した本で最後だったと思う。

そこで自分が一番作りたい本を作ってしまったので、あとはどうでもいいのである。

 

とはいえ、働かずして食っていける身分とは程遠いので、今も仕事をしているし、今後も働かざるを得ないのだが、基本的には食っていければ仕事はなんでもいい。もちろん精神的、肉体的に、より楽でたくさん稼げる仕事のほうがいいが、昔と違って、仕事にそれ以外の何かを求めたりはしない。

ただ、自分が嫌だと思っているシステムに加担するような仕事だけはしたくない。

 

仕事はともかく、何か世のため人のためにできることを、とも思うが、しょせんは煩悩の多い怠け者なので、どうしても自分のことを優先させてしまう。

 

ただ、音楽については、頑張らないといけないと思う。

 

昨年末にはっぴいえんどの特番がテレビとラジオであり、それを見聞きして思ったのだが、彼らに限らず、自分が今までに与えてもらった恩恵は、音であれ言葉であれ、やっぱり返していかないといけない。

 

もちろん自分はアマチュアだし、技術的にも稚拙だが、それでも何か、伝えられるものはあると信じたい。

 

それが、一人でも二人でも、誰かに伝えられれば、それだけでも自分の生きた証になるのではないかと思う。

 

そんなことを、つらつら思う元旦。

今年も、よろしくお願いいたします。

2014年12月15日 (月)

絶望は愚か者の結論である

衆議院選挙が終わった。

どのマスコミも「自民(あるいは与党)大勝」と報じている。
Facebookでは知り合いの人達が、投票率の低さ(戦後最低だそうだ)とともに、選挙結果を嘆いている。
日本はどうなってしまうのか、と。

しかし、自分は自分でも驚くほど、ネガティブな気持ちがない。
その理由の第一は、自民党は「勝った」わけではないからだ。

確かに自民は単独で衆議院の過半数を遥かに超えた。

しかし、公示前と比べると、5議席減らしている。
公明党は公示前プラス4議席なので、与党全体で言えばマイナス1議席。
前回と比べると「負けた」のだ。
ただ全体では相変わらずとてつもない勢力なので、そう見えないだけだ。

逆に共産党は公示前の8議席から13プラスで21議席。
民主党も前回より11議席プラスしている。
維新はマイナス1、次世代はマイナス17だ。
これはどういうことか?
簡単にいえば、「右」が負けて「左」が勝ったのである。
だいたい、投票率が下がれば下がるほど、
自民党のように組織票を持っている候補者が多い党が勝つと言われる。
その中で、共産党は野党第3党にまで躍進したわけだ。

おそらく次の選挙では、共産党はもっと勝つだろう。
なぜか。
今の日本の選挙はすでに階級闘争の段階に入っていることを
野党の中で共産党だけが自覚しているからだ。

落選して今日辞任を発表した民主党の海江田代表は、
今回の選挙で「豊かな中間層の復活」を訴えた。
しかし、それはもはや夢、絵空事だ。
今、この国にいるのは富裕層と貧困層、金持ちと貧乏人だけだ。
共産党は、それをはっきり言える唯一の党である。
この党は、吉良よし子参議院議員などによるブラック企業の追求でもわかるように、
明らかに「貧乏人の味方」を自任している。
しかし、まだ弱い。もっとはっきり宣言すると、さらに議席は増えるはずだ。
特に虐げられている若者は、こぞって共産党を支持するだろう。

なぜ今回、自民党がこれだけ票を得たかということを不思議がる人もいるだろうが
実はさして不思議ではない。
あれほど「カネ」疑惑で騒がれた小渕優子がトップ当選したが、
あんなことは昔から日本全国で当たり前のように起こっている。
前にも何度か書いたが、自分は東京9区の有権者である。
ここには菅原一秀という自民党候補がいて、今回もぶっちぎりで当選した。
この男は民主党政権時代、つまり自民が野党の時代には「反原発・反TPP」をお題目にしていたが、安倍晋三が首相に返り咲くとコロッと「原発再稼働・TPP推進」に変わった。それでも当選するのだ。
つまり日本の選挙民にとっては、政策は関係なく、「義理」とか「情」とか「つながり」が選択の基準になっているわけだ。
そういう旧来型の選挙民が厳然といる一方で、今回共産党に投票したような「政策支持」(これが当たり前だと思うが)の有権者もまた増えている。

おそらく今はまだ、日本人の多くは、自分たちが貧乏人であると認めたくないのだろう。
「まだ中流」だと思いたいのだろう。
しかし海江田代表ではないが、中流はもういない。
繰り返すが、いるのは金持ちと貧乏人だけだ。

それは来年春にはっきりすると思う。
つまり所得税を納める時期だ。
そこで多くの中小企業、自営業が倒産するはずだ。
今まで以上の不況がやってくる。

そのすぐあとで、統一地方選挙がある。
ここで自民・公明はまず間違いなく負けるだろう。
そのムードは国会・内閣にも波及する。
安倍内閣への国民の反発は強くなるはずだ。

そこで日本人が目覚めれば、日本は変わる。
そううまくいくかどうかは別だが、
その可能性もなくはない。

だから、自分は今回の選挙結果に、さして悲観はしない。
誰が言ったかは忘れたが、
「絶望は愚か者の結論である」のだ。

2014年11月24日 (月)

選挙に行きましょう。

選挙なんて興味がない。

政治のことなんてよくわからない。

行ったところで自分ひとりの票で世の中が変わるわけもない。

だから行かない。

20代の頃の自分はそう思っていた。

当時、与党だったのは、今と同じ自民党。総理大臣は、中曽根~竹下~宇野~海部~宮澤と、めまぐるしく代わり、自分が20代の終りを迎える頃に細川連立政権が誕生し、自民党は昭和30(1955)年の結党以来、初めて野党に転落した。

ちなみに、この10年間は、ほぼ、バブル景気と重なる。

つまり、日本の経済状態はとてもよかった。

おそらく、この国が経済的に繁栄した、最後の時期だと思う。

本当はその繁栄の陰にさまざまな問題が存在していたのだが、それに自分は気がついていなかった。

たとえば原発は、1985年から1995年までの10年間で、26基の運転が始まっている。廃炉扱いになった福島第一原発を除くと、日本の全原発の半数以上が、この時期に完成しているわけだ。

当時、すでに原発は社会問題となっていた。チェルノブイリ事故が1986年に起き、翌年、原発に警鐘を鳴らす広瀬隆の『危険な話』が出版されて話題になっていたことを、自分は記憶している。さらに、ファンだったRCサクセションが1988年に発表した『Covers』でも原発問題は取り上げられていた。自分が原発のことを知るチャンスは身近にいくらでもあったのに、そこで深く考えようとはしなかった。

そんなバカな若者だった自分には、選挙に行かない今の若者たちを批判する資格はない。ましてや「選挙に行け」などと偉そうに言いたくもない。何よりも自分自身が、人から命令されたり指図されたりするのが大嫌いだからだ。

しかし、バカな若者だったことをとても反省している自分は、今の若者たちに対して、後ろめたさがある。あの頃、少しでも諸問題について自分や自分と同じ世代がまじめに考えていたら、もう少しマシな世の中になったかもしれないという気持ちが、どこかにある。

今の世の中は、権力を持たない若者にとって、とても厳しい。

超少子高齢化社会が進んでいる現在は、ただでさえ若者の声が政治に反映しづらい構造になっている。その結果、若者は安い給料で長時間働かされ、そのうえ膨大な年寄りたちの年金や医療費まで稼がなくてはならない。そんな状況では結婚も子供作りも無理だが、さらに税金を収めないと、いずれ徴兵され戦場に送り出されるかもしれない。そうした政策に反対の声を上げようとデモをすると、今度はデモとテロを同一視する為政者によって牢獄に入れられるかもしれない。

国民はすべて「法のもとに平等」なのだから、若者だけがそんなひどい目に遭うわけはない、と思うかもしれない。そのとおり、厳しいのは若者だけではない。

自分もそうだが、大企業に勤めているわけでも富裕層でもない国民の90%は、実際にそういう厳しさに直面している。いくら株価が上がろうと、失業率が改善されようと、物価は高いままで給料は安いままである。そもそも、アベノミクスの考え方の基本にある、富裕層の「おこぼれ」に預かって生きていくというのは、奴隷と同じである。

自分は、奴隷にはなりたくない。

というわけで、ここまででおわかりのとおり、自分は若者のためを思って言っているのでは全然ない。何よりも自分のために、若者たちに選挙へ行って投票してほしいと頼んでいるのだ。

「自分たち若者が投票に行っても、世の中は変わらないよ」と思うかもしれない。

しかし、そんなことはないのだ。

たとえば、一昨年の12月に行われた衆議院選挙での20代の投票率は37.89%。30代は50.10%。この選挙で自民党が第一党に復帰して、安倍晋三が総理大臣になったことは改めて言うまでもない。しかし、その前、今から5年前の衆議院選挙。これで民主党が第一党になり、自民党を野党に引きずり下ろしたわけだが、このときの20代の投票率は49.45%。30代は63.87%。わずか12~13%の若者が投票しただけで、まったく変わるのだ(いずれも公益財団法人・明るい選挙推進協会調べ)。

つまり、若者が投票すれば政治は変えられるのだ。

確かに、民主党は国民の期待を裏切った。

しかし、一度の失敗で見限っていいとは、自分には思えない。

一般には評判がよろしくない菅直人だが、彼が首相になったときのスローガンは「最小不幸社会」だった。つまり、不幸な人がもっとも少ない社会を目指す、ということだ。

それがどれだけ実行できたかは疑問だが、少なくともこの信条は、「戦後民主主義からの脱却」を唱えながら、大企業や富裕層に手厚く、貧しく弱い立場の人間に冷たい安倍晋三首相の政策よりかは、共感できる。

今の若者たちは、自分が若者だった頃よりも他人に優しく、自然や地球全体のことを考えている人が多いように思う。それはこの国の経済状態も関係していると思うが、もはや経済大国を目指すのではなく、ともに手を取り合って、金銭的ではなく精神的な幸福を目指すという方向は、日本にとって正しい道だと自分は思う。

その道を日本が歩んでゆくために、次の選挙には行ってほしい。

もちろん、もはや若者ではない、あなたも。

2014年11月20日 (木)

さようなら健さん

自分の音楽仲間以外の数少ない友人のひとり(40代・神奈川県在住・既婚女性)は、高倉健死去のニュースを知り、「存在しながらにして幻みたいな人だったけど、本当にいなくなってしまったのね」とツイートしてきた。

 

確かに健さんは、生活感がないというより、生の人間くささが感じられない存在だった。それはテレビなどマスコミに出たがらないということもあっただろうが、今回の死に際し、改めてうんざりするほど語られている「聖人君子ぶり」も、大きな要因だと思う。

 

日本では、犯罪者でない限り死んだ人間をあしざまに言うことは失礼、という「道徳」がある。ましてや生前すでに「聖人君子」だった高倉健は、これで完全に「神」となったわけで、健さんの悪口を言う人は、もはや皆無だろう。

 

自分も、健さんの悪口を言うつもりはまったくない。が、人によっては、これから書くことは、それに似たものだと受け取る人もいるかもしれないので、あらかじめお断りをしておく。

 

自分は、熱狂的な健さんファンではないかもしれないが、自分の世代としては彼の映画をかなり観ている方だと思うし、テレビの特集番組があれば必ずチェックし、著書もすべて読んでいる。また、自分ではなく親が買ったものだが、『網走番外地』の主題歌シングルは、いまだに大事に持っているので、客観的に見てもかなりのファンではないかと思う。

 

しかし、今回の死にあたり、高倉健を「名優」と持ち上げるのには、いささか違和感がある。

 

自分は、名優というのは技術的にうまい俳優のことを指すのが一般的だと思うのだが、高倉健は決してうまい俳優ではないと思う。

 

健さんが東映に入社してすぐ、養成所でレッスンを受けていたときに「落ちこぼれ」だったのは、自らもよく語っている有名な話だ。それから、『網走番外地』や『昭和残侠伝』シリーズでブレイクするまでは、実に9年間もかかっている。年齢でいうと、30代になって、ようやく花開いたことになる。

 

もちろん遅咲きの俳優だから名優ではないとは言えないが、たとえば大スターとして並び称される三船敏郎と比べると、どうだろうか。『野良犬』の若い刑事、『酔いどれ天使』のヤクザ、『七人の侍』の菊千代、『天国と地獄』の息子を誘拐された会社社長、『赤ひげ』の老医師と並べてみて、これらの作品で三船が演じた役が、他の作品の役と入れ替えられるだろうか?

 

「いやいや、それは黒澤明というたぐいまれなる監督だからそうだったんだよ」という意見もあるかもしれないので、他の例として岡本喜八作品を挙げてみる。『結婚のすべて』という作品ではオカマっぽい芸術家、『独立愚連隊』では頭のおかしくなった大隊長、『暗黒街の顔役』では気の弱い自動車修理工、『暗黒街の対決』では汚職刑事と、役柄だけでもバラエティに富んでいるが、これらの作品を観ると、黒澤作品のイメージを持つ人は、「これが三船?」と呆然とするかもしれない。

 

しかし、高倉健という俳優は、そう器用になんでもこなせる役者ではない。

確かに1970年代なかばに東映との契約を解除し、フリーになってからは、ヤクザだけではなく刑事、検事、軍人、南極観測隊員、レーサー、居酒屋主人、駅長、刑務官と、さまざまな職業の役をやっている。しかし、悪いがどれもさして代わり映えしない。というより、これらの役はみな同じ人物に見える。

 

「同じ俳優がやっているんだから当たり前だろう」という人は、前述した三船敏郎の演じた役を思い起こしてほしい。「彼ら」は同じ人に見えるだろうか。

いや、三船に限らない。ほぼ同時代に活躍した役者でも、舞台でも活躍する仲代達矢は言うまでもないが、芸の巧みさより「味」で勝負していた丹波哲郎でも、『日本沈没』の彼と『砂の器』の彼とではまったく違うし、小林旭にしても、『渡り鳥』シリーズと『黒い賭博師』シリーズ、『仁義なき戦い』シリーズや『多羅尾伴内』では、それぞれ印象が違う。これらの俳優と比較すると、高倉健は明らかに「幅」の狭い役者である。

 

あえて、高倉健に近い俳優を考えると、石原裕次郎ではないかと思う。

 

冒頭に紹介した友人は、「石原裕次郎はどこがいいのか、さっぱりわからない」と言っているが、彼が活躍していた日活映画をリアルタイムで観た世代ではない自分も、一人の俳優として石原裕次郎を見た場合、そのよさが今一つわからない。

 

それでも裕次郎の場合は、それまでになかった長身で足が長く、顔の小さい外見と、既成の職業俳優にはいなかった、素人そのものの「演技」が、当時はひどく新鮮に映ったんだろうな、ということは想像できる。ただそれは石原裕次郎という存在・キャラクターが時代とマッチした、ということなので、俳優として評価されたわけではないと思う。実際、石原裕次郎は「大スター」とは呼ばれても、「名優」とは言われていないはずだ。

 

しかし、高倉健は、その石原裕次郎ともまた違う。

 

高倉健は、どんな職業・立場の人間を演じても、つねにアウトローで孤独なにおいがつきまとう。『動乱』や『居酒屋兆治』で妻がいる主人公を演じても、その印象は同じである。一方の石原裕次郎も、アウトロー的な役柄を演じたことは何度もあるが、彼の場合、どんな境遇でも孤独な感じはしない。恋人か友人か兄弟かはわからないが、「仲間」がいる感じがする。その意味では、むしろ裕次郎の日活の後輩である渡哲也の方が、孤独を感じさせる(ただし、裕次郎よりも渡哲也の方が遥かに「名優」だと思うが)。

 

言い方を変えれば、高倉健の演じる人物は、すべてどこかが後ろ暗い。つねに、過去に「何か」があった役なのだ。逆に言えば、そうした人間しか、高倉健は演じようとしなかった、とも言える。

 

そして、その「過去」とは、すなわち俳優・高倉健の過去、健さんがそれまでに演じてきた人間たちの過去なのである。

 

いちばんわかりやすい例が、『幸せの黄色いハンカチ』である。あの作品の主人公は、喧嘩で誤って相手を殺してしまい、刑務所へ入っていたという設定だが、当時、あの映画を観た人は、その設定から、まず10人が10人とも、東映やくざ映画で悪いやくざを斬って=殺していた健さんを脳裏に浮かべただろう。そして、その雰囲気が高倉健に色濃く残っていたからこそ、あの主人公はリアリティを持ったのである。

 

その後の『君よ憤怒の河を渡れ』や『野性の証明』では殺人者と疑われる主人公(前者は検事、後者は元自衛隊レンジャー部隊隊員)を演じたが、やくざ映画で「犯罪者」となった役を演じていたがゆえに、観客は健さんの置かれた状況や行動に納得した。『八甲田山』では軍人、『駅 Station』では刑事だが、これらの作品での自己を律する厳しさは、『昭和残侠伝』のストイックさあってのものだ。しかし、よくよく考えてみれば、あんな健さんみたいな検事や自衛隊員や刑事が実際にいるはずがない。(その違和感が一番あったのは、『鉄道員(ぽっぽや)』だろう。どう考えても、あんな田舎の駅長はいないと思う)

 

つまり、高倉健の演じる役は、すべて過去に高倉健自身が演じてきた役を背負っているのだ。どんな職業や立場の人間を演じても、さして代わり映えがしないように見えるのは、そのためである。

 

自分は俳優ではないので確信はないが、俳優をやるからには、いろんな役を演じ、いろんな人間になってみたいはずだ。高倉健だって、長い俳優人生の中では、おそらくそんな気持ちを抱いたことがあったと思う。しかし、結果として彼にはできなかったのだ。「高倉健ではない高倉健」を演じることが。

 

おそらく自分だけではないと思うが、健さんの映画を観ると、いつも高倉健という俳優のドキュメンタリーを見ているような気がする。特にフリーとなって以降は。自分はリアルタイムではフリー以降の作品しか観られなかったので、余計にそう思うのかもしれないが。

 

先に自分は、高倉健は名優ではない、と書いた。

しかし、こと俳優・高倉健を演じることにかけては、健さんは誰よりも優れた名優だったと思う。

 

その意味で、高倉健は、唯一無二の俳優である。

2014年8月15日 (金)

69年目の終戦記念日に

 

 徳田が最後に演壇に上った。彼は厳粛な面持で歓呼する群衆をしばらく見まわした。彼も主食配給の不足、金持や投機師の隠匿米、労働者の困窮などを語った。群衆は同感の叫びをあげた。だが、いちばん大きなそしていちばん長い歓呼がおこったのは、徳田が両手を高くあげて「天皇を打倒しろ!」とどなったときだった。

 

 この「徳田」というのは、もちろん自分のことではない。日本共産党の指導者だった徳田球一のことだ。そしてこの文章は、マーク・ゲインというアメリカの特派員が書いた『ニッポン日記』(井本威夫訳・ちくま学芸文庫)の一節(P308)である。

 

 一昨年、自民党が政権に復帰し、再び総理大臣になった安倍晋三は、「戦後レジームからの脱却」を言い続けてきた。戦後レジームとは何か。どうやら戦後の基本政策や理念のことらしい。ではそれを脱却するというのはどういうことか。最初はいまひとつわからなかったが、今では子供でもわかるだろう。戦後民主主義を捨てる、ということだ。

 その捨て方は急激だった。あっという間に秘密保護法を制定し、集団的自衛権の行使を閣議決定。さらに武器輸出三原則も改変した。これらすべて、日本国憲法に明らかに違反している。安倍晋三首相と自民党は、現行憲法を無視しているわけだ。

 にもかかわらず、世論調査でも半数近くがこの政権を支持している。ここまで、日本国憲法と、その理念である民主主義がないがしろにされているのにもかかわらず。

 それはいったい、どういうことなのだろう。民主主義は結局、日本には根付かなかったということなのか。いやそもそも、日本は民主主義社会ではなかったのではないか。

 

 そのへんの事情を知りたくなった自分は、図書館で『ニッポン日記』を借りた。この本は、まさに日本がダグラス・マッカーサー率いるGHQGeneral Headquarters=連合国軍最高司令官総司令部)から「民主主義」を植え付けられたはずの時期、1945(昭和20)年12月から約一年あまりにわたり、『シカゴ・サン』紙の東京支局長として日本に滞在した著者の日記形式の回想録である。

 そして冒頭の文章は、194651日に皇居前広場で開催された、終戦後初めてのメーデーの模様。徳田球一の演説後も、群衆の熱気はさめやらなかった。

 

 演説が終わると、四列縦隊を組んで流れ出し始めた。私は首相官邸に向うその行列についていった。ぬか雨が降り始めた。ポスターの絵具が流れ、まもなくびしょぬれになって紙が木の枠からはがれていった。が、熱狂はいっかなおさまらなかった。その枠だけになったのをうち振りながら、群衆は「マルセイエーズ」や「メーデーの歌」を歌いながら活に行進を続けた。

  きけ、万国の労働者

  とどろきわたるメーデーの……

(中略)

 私は手当たりしだいに二、三人つかまえて、なぜデモをやっているのかきいてみた。運輸労働者だという男は言った。

「民主主義の世の中では、権力は人民に属さなけりゃならないと思うんだ」

 郵便配達人は言った。

「今日は『おれ』の日だ。デモに参加できて名誉だと思っている」

 農夫らしい男は言った。

「わしにとっちゃ十年ぶりのメーデーだ。わしはひどく気が立っている」(P308309)

 

 このくだりは、文庫版で568ページに及ぶ全編を通しても、特に感動的な場面だ。日本国憲法が発布される半年も前に、普通の日本人労働者が「民主主義」を理解し、堂々と語っているのである。

 おそらく、「自由と民主主義の国」アメリカで育った著者自身も、同じような思いだったろう。しかし、このメーデーを境に、この思いは裏切られてゆくことになる。

 

 それからわずか3週間後の520日、マッカーサーは、「組織ある指導の下に行なわれつつある大衆的暴力増大の傾向と肉体的脅迫手段とは、日本の将来の発展に重大な脅威を与えるものであることを、日本国民に警告する」と宣言した。

 これは、直接的には、このメーデーを含むデモのいくつかが、首相官邸に押し寄せ、首相を出せと叫んだりするような行為について指していると思われる。が、逆に言えばその程度のことである。その程度のことをマッカーサーは「大衆的暴力」「肉体的脅迫手段」と呼んで禁じた。事実、その後のデモはMPMillitary Police=米軍憲兵)や日本人警官によって規制されることが多くなった。

 

 デモと並んで、労働者の権利であるストライキについても同様だった。マッカーサーの命令によってストが中止になったといえば、194721日のゼネスト(全国の労働組合が一斉に行うストライキ)が有名だが、実はGHQはそれまでにもいくつかのストを中止させている。本書でも、19467月の読売新聞社のスト、同年10月の朝日新聞社のストが中止に追い込まれた経緯を記している。

 

 こうしたGHQの変化は、今では、労働組合の結成に力を注いだり、統制経済を推進していた民政局(GS)から、保守・反共派の参謀第2部(G2)へと主導権が移ったからだと説明されている。その背景には、よく言われているように、アメリカとソ連の対立が表面化してきて、日本を「反共の砦」にしなければいけないという思惑もあっただろう。

 しかし、本書ではもう一つ、重要な理由を指摘している。それは財閥との関係である。

 

 いかなる悪運に恵まれたか、奇怪にも財閥関係者は一人もこの席には座っていない。(P321

 

 「この席」とは、極東国際軍事裁判(東京裁判)法廷の被告席のことだ。

 

 もちろん、悪運でも奇怪でもなく、財閥のトップたちは意図的に被告から外されたのだ。戦争に協力したとされる民間人は「公職追放」という形で、それまでの職を解かれ、それには多くの財界人が含まれてはいたが、それも4〜5年で復帰できたので、さしたる打撃はなかっただろう。

 しかし、特に三井、三菱、安田、住友という四大財閥こそ、軍とともに日本を対外戦争へ駆り立てていった張本人であることを、本書は暴露している。

 それは、これらの財閥傘下の企業が軍需産業に手を染めているとか、銀行を所有していたというだけのことではない。これらの財閥は海外市場を狙って事業を多方面に展開し、統制経済組合を牛耳り、戦争で巨万の富を得た。そして、この財閥と皇室は血縁関係を結んでいることもあり、互いに戦争で莫大な利益を得るシステムを作り上げていた。その意味で、財閥と皇室は、軍部に負けず劣らず、第一級の戦争犯罪人たちの集まりだといえる。

 

 その後、GHQは「財閥解体」の政策を打ち出す。しかし、その政策には、他ならぬアメリカの大企業から横やりが入った。彼らにとって、日本の財閥にはとてつもない利用価値があったからだ。

 

 財閥解体に関する公式要求ぐらいでたらめで、また誤解を招くようなものは類例がすくなかった。大企業合同体が痛撃を加えられたことは事実だ。そして彼らの活動の多くは暗の通路に追いやられてしまった。しかし大政党(社会党は別だが)も、内閣も、新聞も、宮廷も、依然財閥と手を組み、財閥の信条を擁護していることも記録されなければならない。さらに重要なことは、財閥はいまだに日本経済を支配し続けていることだ。(P547)

 

 19485月の時点でマーク・ゲインがこう書いているとおり、70年近く経った今に至るまで、財閥は立派に存続している。三菱、三井、住友、安田とも系列の銀行を持ち、軍需産業や原発関連産業も抱えている。

 

 さて、長々と書いてきたが、結論である。果たして、GHQは日本に民主主義をもたらしたのか? マーク・ゲインの結論はこうだった。

 

 デモクラシイ(民主制)が一国の国民の中から萌え出たものでなく、征服者の事務室から発出したものなら、それはもはやデモクラシイではありえない。デモクラシイは、もしそのデモクラチックな憲法が、非デモクラチックな政府によって奉仕され、非デモクラチックな最高裁判所によって強制されるのなら、それはもはやデモクラシイではない。デモクラシイは、もしわれわれすなわちその師傳(しふ=師匠から直接伝えられること)が自由な言論に対する信仰を表明しながら、日本の国民に彼らの政府、憲法、生活問題を自由に論議することを制限するわれわれの検閲制度の存在を許すならば、もはやデモクラシイはありえない。最後にデモクラシイは、デモクラシイと称される政治・社会体制が天皇を中心とする完全な封建主義の基礎の上に樹立されるなら、一つのまやかしにすぎない。(P550)

 

 つまり、日本には民主主義はもたらされていなかった、ということだ。

 そして、自分もそう思う。民主主義であれ共産主義であれ、国民自らがつかみ取ったものでなければ、本物ではないという気がする。

 

 それでも、高らかに民主主義を謳った日本国憲法について、今まで自分は日本人が自ら選択してきたものだと思っていた。だからこそ70年近くもこの憲法下でやれてこれたのだと。だが、近頃はその考えも多数派ではないのかも知れない。であればー前回のブログの文章と同じような結論になってしまうがー安倍晋三や自民党が思っているような意味とはまったく違うが、国民に日本国憲法でよいのかどうか、聞いてみる時期が来ているのかもしれない。

 

 さて、天皇についての文章で始めたので、最後も天皇絡みの文章で終わろうと思う。昭和天皇が平和主義者だった、という物言いを信じている人は、これを聞いてどう思うだろうか。


 次の会見(天皇とマッカーサーが会った二回目の会見の意味)の際、天皇は「占領軍はわが国に軍隊をもつことを禁じている。私は日本の将来が心配に堪えない」と元帥(マッカーサー)に言った。元帥はこう言って天皇を安心させた。「米国は日本防衛の責任を持つでありましょう」(天皇の通訳は、この問答を洩らしたというので解雇されたが、彼の不謹慎さは外務省の命令による結果だと信じられている。)(P552553


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