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2015年5月 4日 (月)

一日遅れで考えた日本国憲法

 このあいだTwitterで、宮沢章夫が大瀧詠一のこんな言葉を紹介していた。

「日本人は歴史を寸断して考えるでしょ? 忘年会やるからダメなんだよ(笑)」

 まったくそのとおりだなと思う。もちろん、その年を忘れようとして忘年会をやっている日本人はあまりいないだろうが、「年忘れ」しようとする心性が問題だ、と大瀧詠一は言っていたわけだ。

 本当に日本人は過去をチャラにしたがる。気まぐれな女のように、古いものをあっさり捨てて、新しいものに飛びつく。それは新陳代謝としてはいいことかもしれない。だが、その「今」は過去があって成り立っているのだから、過去に何をしてきたのかを振り返ってみなければ、これから何をすべきなのか、見えてこない。実際、多くの人はある程度の年齡になると、自分自身のことについては、無意識であってもそうした作業をしているはずだ。

 ところが、日本人は自分の生きてきた国については、その作業をなぜかやろうとしない。それが自分にはとても不思議だが、そういうことは政治家とか学者が考えることで、自分がやる(べき)ことじゃない、とでも思っているのだろうか。

 自分の過去がどうだったのかがわからないと、とても不安なはずだ。同様に、自分の生きてきた、そして今後も暮らす国が過去に何を経験してきたのかがわからないと、とても不安なはずなのだが。

 あ、いやいや。ことさら、「国の過去」なんて難しそうな歴史の本を読んでお勉強しなくても、日本という国が過去に何を経験してきたのかを知る手がかりなんて、実はそこらじゅうに転がっているのだ。たとえば――

 1966年に作られた、『クレージーだよ奇想天外』という映画がある。地球より文明の発達したα星から、地球全体を平和な星にするため、憲法で戦争を放棄している日本へ派遣された宇宙人・ミステイク7の物語だ。

 地球人(桜井センリ)の身体を借りたミステイク7(谷啓)は、自衛隊の兵器を作っている総合商社(三菱あたりがモデルか?)に新入社員として入社。新人研修で自衛隊に行かされることになり、「日本は軍隊を持たないと憲法で決まっているのに、戦車とか武器を持っている自衛隊は軍隊じゃないの?」と素朴な疑問を社長(ハナ肇)にぶつける。その後、自衛隊研修に行っても銃を放り投げてリタイアするなど、まさに真正面から自衛隊批判=政権批判をした内容で、三菱などの大銀行は東宝のような映画会社に莫大な融資をしていたはずだから、よくこの企画が通ったと思うが、当時は娯楽映画でも、そんな気骨ある映画人がいたのだ。

 なお、社会風刺のクレージー映画でいえば、早坂暁・佐々木守脚本、須川栄三監督、植木等主演で1968年に公開された『日本一の裏切り男』が最高峰。特攻隊で生き残った男が戦後一転して金儲けに走り、なんでもかんでも売ってしまい、最後には日本国まで売ってしまうという、カラカラに乾いた話である。

 いささか脱線したが、先日、CSでこの『クレージーだよ奇想天外』を再見して、自分の子供の頃は「自衛隊は違憲」というのが一般的な論調だったことを思い出した。いや、今でも自衛隊は違憲である。けれどそのことを誰も言わなくなった。それが良くなかったと思う。だから、勝手に憲法をねじ曲げるような首相や政権が出てきてしまったのだ。

 自分は、自衛隊は災害救助隊でいいと思う。武器は最低限あればいい、としてしまったら、じゃあ最低限のレベルはどこなのか、という話になるので、警官同様、護身レベルでいいとする。つまり丸腰でいい。米軍基地もいらない。つまり日米安保もいらない。じゃあ外国に攻められ放題じゃないか、と言われるだろうが、そのとおり。それでいい。日本は武器を持ちません。丸腰ですと、丸腰であることを世界にアピールする。丸腰の国を攻める国が正義であるはずはないですよね、という国際世論を醸成する。同時に、これはみんな丸腰になりましょうよというアピールでもある。もうそれだけで間違いなく、日本という国は、世界の中で存在価値がある国になる。それが日本の正しい道だと思う。

 今の政権の大義名分は、「現実に合わせて憲法を変えよう」というもの。であれば、「憲法に合わせて現実を変える」ことのほうが、より現実的だと思う。なぜなら、現実は時間の経過とともにどんどん変わっていくから、それに合わせて憲法を変えると、際限なく変え続けないといけなくなる。それは現実的ではないし、そういうものは憲法ではない。憲法とは、国の目指す理想なのだから。

 今年、朝日新聞が行った世論調査で、憲法9条を変える方がいいという人が29%、変えない方がいいという人が63%だったそうだ。他の新聞社によるアンケートなら、「変える方がいい」はもっと多いだろう。

 しかし、戦争をしなくていい憲法を、戦争できる憲法に変えて、得するのは戦争に行かずして金儲けのできる、ごく一部の人でしかない。それはおそらく日本の全人口の1%もいないだろう。

 理想ではなく、そういう「現実」を、日本人は、もっとよく考えた方がいいと思う。

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