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2014年8月 3日 (日)

「責任」について

この一年半ほど、音楽にかまける生活を続けてきた。

そのせいか、このブログもずっと書かずじまいだったが、音楽のほうが一区切りついたので、これからしばらくは、読書にかまける生活を送ろうと思っている。

今日、図書館から借りてきた『日本の名随筆  別巻98 昭和』(加藤典洋・編 作品社)という本のなかに、こういう一節があった。

 陛下は事情のゆるすかぎり速やかに御退位になるがよろしい。

これは、詩人・翻訳家の三好達治が1948(昭和23)年に書いた「なつかしい日本」というエッセイの最後の一文。

ここで触れられている「陛下」とは、もちろん昭和天皇のことである。

この随筆で、三好達治は太平洋戦争の最高責任者として、昭和天皇に責任を取れと言っている。

この前年の1947年、現在の日本国憲法が施行されているので、天皇は「日本国および日本国民統合の象徴」となっている。

しかし、だからといってそれまで天皇の名において行った責任がなくなるわけでは、もちろんない。

陛下は一国の元首として、この度の戦争敗戦の責任をまづ第一の責任者としておとりにならなければならない。これは申すまでもなきことである。

と書く三好達治は、続けて、具体的にどういう責任があるのかを事細かく説明している。

歴史に詳しい人ならご承知の通り、昭和天皇は1941(昭和16)年の対米英開戦時、御前会議において明治天皇の御製「四方の海 みな同胞と思う世に など波風の立ちさわぐらん」(世界の誰もみな同じ仲間だと思っているのに、どうして争うのか)を引用し、暗に開戦を拒んだといわれている。

さらに、1945(昭和20)年8月、終戦の決定をしたのは昭和天皇だともいわれる。

この2点を根拠に、「昭和天皇は平和主義者だった」という言説がまかりとおり、特に1989年1月7日の崩御から3日間、NHK教育テレビ以外のすべてのテレビ局(地上波)が昭和天皇追悼特別番組を放送した際は、うんざりするほどこの事実が強調されていた。自分は、当時どのチャンネルも観たと思うが、すべての局で同じことを言っていたように思う。

つまり、戦争を始めるときは反対の主張をし、終わるときは自分が決めた。だからこの人は平和主義者である、という理屈だ。

ところが、この人(当時は「現人神」だから人間ではないのか?)は、会議のたんなる参加者ではない。大日本帝国憲法下では大元帥(陸海軍の総司令官)で、

つまり最終決定権を持つ立場だった。

であれば、明治天皇の御製を詠んで心境を吐露している場合ではなく、「開戦は認められない」という明確な「決定」が必要なのである。

しかも、これは対米英戦争についてのことで、それ以前(満州事変から数えれば10年前)から日本帝国陸軍は中国を侵略しているが、その戦争についても昭和天皇は反対せず中止を求めてもいない。

また、太平洋戦争についてさらに言えば、1942(昭和17)年6月のミッドウェー海戦で日本は惨敗し、以降はずっと劣勢だった。そこから終戦の決定まで3年。もちろん、天皇は日本が敗色濃厚であることを知っていた。にもかかわらず、何の決定もしなかった。神風特攻隊の出撃を許し、沖縄を見殺しにし、1945年7月に出されたポツダム宣言も無視し、広島と長崎への原爆投下を招いた。

これが果たして、平和主義者と言えるだろうか。

また、三好達治はこうも記す。

単に戦さに負けたといふことの責任ではない。戦さに負けたのはもともと判断のまづさによるのであつて、これは専ら智能の問題に属するといつていい。陛下は賢明であらせられなかったといふことは、その点からいひうるとしても、人間はさうさう誰しも賢明であるばかりの訳でもないから、この点は陛下におかれてもさして深く苦にやみ玉ふにはあたるまい。けれども陛下におかせられても扱ひきれない陸軍乃至は海軍をそのままに放置しておかれたのは、わが国の軍隊は世々天皇の統率し玉うところにぞあるーーと国民の前に公言しておかれた手前、陛下の側に、国民に対してはさういひなだめて服従せしめておかれただけ、さうして国民はいかにも素朴に服従の任を果しただけ、それだけ事のかくの如くなつた始末に就いては陛下の側に背信の責のあるのを否みがたい。

簡単に言えば、敗戦は判断がまずかったためで、その意味では陛下は頭が良くなかったと言える。ただ、問題はそこではなくて、陸海軍を統率すべき立場なのにそれをしない(できない)まま、天皇の名の下に国民を服従させ、多くの国民を死傷させ財産を失わせた責任がある、ということだ。

まったく、三好達治は当たり前のことを言っていると思う。

ところが、ご承知の通り昭和天皇は何の責任も取らず、天皇を退位することもなく、「象徴」という不思議な立場で、87歳まで生きた。

つい先頃発表された、2013年の日本人男性の平均寿命が80.21歳。昭和天皇が崩御された1989年は75.91歳だから、当時としては平均よりも10歳以上長生きしたということになる。

ここまで、くどくどと昭和天皇の戦争責任について書いたのは、当たり前だが、いまさら昭和天皇の罪業を云々するためではない。

敗戦から69年、最高責任者が責任を取らなかったことが、今に至るまで、日本と日本人に、ずっと尾を引いていると思うからだ。

特に3.11以降、それがひどくなっている。

世界最大規模の原発事故を起こした会社のトップ。

その原発事故が収束していないし原因もわからないのに、原発を再稼働させたり外国に売りつけたりする政府。

をはじめとして、どんな失政・失言・放言をしても誰も責任を取らない。

その極めつけが、秘密保護法の制定と集団的自衛権行使だと思う。

国民の自由と安全を守るべき政府が、国民の自由を奪い、危険にさらす。

安倍晋三首相は「自分が責任を取る」などと大見得を切っている。

しかし、秘密保護法違反で逮捕された人のその後の生活や名誉回復。

あるいは集団的自衛権行使で命を落とした自衛隊員。

彼らに対し、どう責任を取るのか? もちろん取れるわけがない。

そういうふうに考えてくると、今まで自分は護憲の立場だったが、憲法を制定し直すのもいいかもしれないと思う。

もちろん第9条(平和主義)はそのまま、国民主権、基本的人権もそのまま。で、天皇制は廃止する。

自分は、たとえ「もらいもの」の憲法であってもいいものはいいと考えるが、

自分たちで勝ち取ったものでないと誇りや責任を持てないという人が多いのなら、そうすればいい。

その結果、「戦争できる国」を日本国民が選ぶなら、それはとても嫌だが、仕方がないという気もする。

ところで、この三好達治の随筆が収められた『日本の名随筆  別巻98 昭和』には、もうひとつ昭和天皇について書かれた随筆がある。

「昭和終焉序曲」と題されたもので、これも作者は佐々木幹郎という詩人。『新潮』1988年11~12月号に掲載されたという。

先に述べたように、昭和天皇は1989年1月に逝去したが、その前年、1988年9月に容態が悪化してからの、日本国内の異様なムード、特にテレビの「報道姿勢」が、ほぼリアルタイムで記されている。自分が知る限り、あの頃の雰囲気について書かれた文章はそれまで目にしたことがなかった。

特に印象に残ったのは、こんな文章である。

 わたしには東京の下町の老人たちにテレビがインタビューしたとき、ある老婆がこう言った言葉が印象に残った。

「あんな立派な人はいないでしょ。いいお方のようですからね。もう一回、御丈夫にしてあげたいと思います」。

  実にうまい距離感を含んだ表現だった。

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