« 「責任」について | トップページ | さようなら健さん »

2014年8月15日 (金)

69年目の終戦記念日に

 

 徳田が最後に演壇に上った。彼は厳粛な面持で歓呼する群衆をしばらく見まわした。彼も主食配給の不足、金持や投機師の隠匿米、労働者の困窮などを語った。群衆は同感の叫びをあげた。だが、いちばん大きなそしていちばん長い歓呼がおこったのは、徳田が両手を高くあげて「天皇を打倒しろ!」とどなったときだった。

 

 この「徳田」というのは、もちろん自分のことではない。日本共産党の指導者だった徳田球一のことだ。そしてこの文章は、マーク・ゲインというアメリカの特派員が書いた『ニッポン日記』(井本威夫訳・ちくま学芸文庫)の一節(P308)である。

 

 一昨年、自民党が政権に復帰し、再び総理大臣になった安倍晋三は、「戦後レジームからの脱却」を言い続けてきた。戦後レジームとは何か。どうやら戦後の基本政策や理念のことらしい。ではそれを脱却するというのはどういうことか。最初はいまひとつわからなかったが、今では子供でもわかるだろう。戦後民主主義を捨てる、ということだ。

 その捨て方は急激だった。あっという間に秘密保護法を制定し、集団的自衛権の行使を閣議決定。さらに武器輸出三原則も改変した。これらすべて、日本国憲法に明らかに違反している。安倍晋三首相と自民党は、現行憲法を無視しているわけだ。

 にもかかわらず、世論調査でも半数近くがこの政権を支持している。ここまで、日本国憲法と、その理念である民主主義がないがしろにされているのにもかかわらず。

 それはいったい、どういうことなのだろう。民主主義は結局、日本には根付かなかったということなのか。いやそもそも、日本は民主主義社会ではなかったのではないか。

 

 そのへんの事情を知りたくなった自分は、図書館で『ニッポン日記』を借りた。この本は、まさに日本がダグラス・マッカーサー率いるGHQGeneral Headquarters=連合国軍最高司令官総司令部)から「民主主義」を植え付けられたはずの時期、1945(昭和20)年12月から約一年あまりにわたり、『シカゴ・サン』紙の東京支局長として日本に滞在した著者の日記形式の回想録である。

 そして冒頭の文章は、194651日に皇居前広場で開催された、終戦後初めてのメーデーの模様。徳田球一の演説後も、群衆の熱気はさめやらなかった。

 

 演説が終わると、四列縦隊を組んで流れ出し始めた。私は首相官邸に向うその行列についていった。ぬか雨が降り始めた。ポスターの絵具が流れ、まもなくびしょぬれになって紙が木の枠からはがれていった。が、熱狂はいっかなおさまらなかった。その枠だけになったのをうち振りながら、群衆は「マルセイエーズ」や「メーデーの歌」を歌いながら活に行進を続けた。

  きけ、万国の労働者

  とどろきわたるメーデーの……

(中略)

 私は手当たりしだいに二、三人つかまえて、なぜデモをやっているのかきいてみた。運輸労働者だという男は言った。

「民主主義の世の中では、権力は人民に属さなけりゃならないと思うんだ」

 郵便配達人は言った。

「今日は『おれ』の日だ。デモに参加できて名誉だと思っている」

 農夫らしい男は言った。

「わしにとっちゃ十年ぶりのメーデーだ。わしはひどく気が立っている」(P308309)

 

 このくだりは、文庫版で568ページに及ぶ全編を通しても、特に感動的な場面だ。日本国憲法が発布される半年も前に、普通の日本人労働者が「民主主義」を理解し、堂々と語っているのである。

 おそらく、「自由と民主主義の国」アメリカで育った著者自身も、同じような思いだったろう。しかし、このメーデーを境に、この思いは裏切られてゆくことになる。

 

 それからわずか3週間後の520日、マッカーサーは、「組織ある指導の下に行なわれつつある大衆的暴力増大の傾向と肉体的脅迫手段とは、日本の将来の発展に重大な脅威を与えるものであることを、日本国民に警告する」と宣言した。

 これは、直接的には、このメーデーを含むデモのいくつかが、首相官邸に押し寄せ、首相を出せと叫んだりするような行為について指していると思われる。が、逆に言えばその程度のことである。その程度のことをマッカーサーは「大衆的暴力」「肉体的脅迫手段」と呼んで禁じた。事実、その後のデモはMPMillitary Police=米軍憲兵)や日本人警官によって規制されることが多くなった。

 

 デモと並んで、労働者の権利であるストライキについても同様だった。マッカーサーの命令によってストが中止になったといえば、194721日のゼネスト(全国の労働組合が一斉に行うストライキ)が有名だが、実はGHQはそれまでにもいくつかのストを中止させている。本書でも、19467月の読売新聞社のスト、同年10月の朝日新聞社のストが中止に追い込まれた経緯を記している。

 

 こうしたGHQの変化は、今では、労働組合の結成に力を注いだり、統制経済を推進していた民政局(GS)から、保守・反共派の参謀第2部(G2)へと主導権が移ったからだと説明されている。その背景には、よく言われているように、アメリカとソ連の対立が表面化してきて、日本を「反共の砦」にしなければいけないという思惑もあっただろう。

 しかし、本書ではもう一つ、重要な理由を指摘している。それは財閥との関係である。

 

 いかなる悪運に恵まれたか、奇怪にも財閥関係者は一人もこの席には座っていない。(P321

 

 「この席」とは、極東国際軍事裁判(東京裁判)法廷の被告席のことだ。

 

 もちろん、悪運でも奇怪でもなく、財閥のトップたちは意図的に被告から外されたのだ。戦争に協力したとされる民間人は「公職追放」という形で、それまでの職を解かれ、それには多くの財界人が含まれてはいたが、それも4〜5年で復帰できたので、さしたる打撃はなかっただろう。

 しかし、特に三井、三菱、安田、住友という四大財閥こそ、軍とともに日本を対外戦争へ駆り立てていった張本人であることを、本書は暴露している。

 それは、これらの財閥傘下の企業が軍需産業に手を染めているとか、銀行を所有していたというだけのことではない。これらの財閥は海外市場を狙って事業を多方面に展開し、統制経済組合を牛耳り、戦争で巨万の富を得た。そして、この財閥と皇室は血縁関係を結んでいることもあり、互いに戦争で莫大な利益を得るシステムを作り上げていた。その意味で、財閥と皇室は、軍部に負けず劣らず、第一級の戦争犯罪人たちの集まりだといえる。

 

 その後、GHQは「財閥解体」の政策を打ち出す。しかし、その政策には、他ならぬアメリカの大企業から横やりが入った。彼らにとって、日本の財閥にはとてつもない利用価値があったからだ。

 

 財閥解体に関する公式要求ぐらいでたらめで、また誤解を招くようなものは類例がすくなかった。大企業合同体が痛撃を加えられたことは事実だ。そして彼らの活動の多くは暗の通路に追いやられてしまった。しかし大政党(社会党は別だが)も、内閣も、新聞も、宮廷も、依然財閥と手を組み、財閥の信条を擁護していることも記録されなければならない。さらに重要なことは、財閥はいまだに日本経済を支配し続けていることだ。(P547)

 

 19485月の時点でマーク・ゲインがこう書いているとおり、70年近く経った今に至るまで、財閥は立派に存続している。三菱、三井、住友、安田とも系列の銀行を持ち、軍需産業や原発関連産業も抱えている。

 

 さて、長々と書いてきたが、結論である。果たして、GHQは日本に民主主義をもたらしたのか? マーク・ゲインの結論はこうだった。

 

 デモクラシイ(民主制)が一国の国民の中から萌え出たものでなく、征服者の事務室から発出したものなら、それはもはやデモクラシイではありえない。デモクラシイは、もしそのデモクラチックな憲法が、非デモクラチックな政府によって奉仕され、非デモクラチックな最高裁判所によって強制されるのなら、それはもはやデモクラシイではない。デモクラシイは、もしわれわれすなわちその師傳(しふ=師匠から直接伝えられること)が自由な言論に対する信仰を表明しながら、日本の国民に彼らの政府、憲法、生活問題を自由に論議することを制限するわれわれの検閲制度の存在を許すならば、もはやデモクラシイはありえない。最後にデモクラシイは、デモクラシイと称される政治・社会体制が天皇を中心とする完全な封建主義の基礎の上に樹立されるなら、一つのまやかしにすぎない。(P550)

 

 つまり、日本には民主主義はもたらされていなかった、ということだ。

 そして、自分もそう思う。民主主義であれ共産主義であれ、国民自らがつかみ取ったものでなければ、本物ではないという気がする。

 

 それでも、高らかに民主主義を謳った日本国憲法について、今まで自分は日本人が自ら選択してきたものだと思っていた。だからこそ70年近くもこの憲法下でやれてこれたのだと。だが、近頃はその考えも多数派ではないのかも知れない。であればー前回のブログの文章と同じような結論になってしまうがー安倍晋三や自民党が思っているような意味とはまったく違うが、国民に日本国憲法でよいのかどうか、聞いてみる時期が来ているのかもしれない。

 

 さて、天皇についての文章で始めたので、最後も天皇絡みの文章で終わろうと思う。昭和天皇が平和主義者だった、という物言いを信じている人は、これを聞いてどう思うだろうか。


 次の会見(天皇とマッカーサーが会った二回目の会見の意味)の際、天皇は「占領軍はわが国に軍隊をもつことを禁じている。私は日本の将来が心配に堪えない」と元帥(マッカーサー)に言った。元帥はこう言って天皇を安心させた。「米国は日本防衛の責任を持つでありましょう」(天皇の通訳は、この問答を洩らしたというので解雇されたが、彼の不謹慎さは外務省の命令による結果だと信じられている。)(P552553


51riax6mcdl

« 「責任」について | トップページ | さようなら健さん »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

>武器輸出三原則も改変した。これらすべて、日本国憲法に明らかに違反している。

武器輸出してはならないとは憲法のどこにも書いておりませんし、そもそも武器輸出三原則は戦後自民党が打ち出した政策でしかありません
それと武器輸出緩和へ本格的に乗り出したのは、前政権の民主党によるSM-3迎撃ミサイルの欧州輸出です

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/577403/60155474

この記事へのトラックバック一覧です: 69年目の終戦記念日に:

« 「責任」について | トップページ | さようなら健さん »

フォト
無料ブログはココログ
2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

ウェブページ