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2013年9月18日 (水)

疑うことのススメ あるいはニュー・ウェーブ魂とは

 自分は、ニュー・ウェーブの影響を色濃く受けた世代である。

 ニュー・ウェーブ(以下NW)とは、ロック/ポップスの歴史において、パンクの後に出てきたジャンル。と言っても特に決まった形式があるわけではなく、あえて分類すれば、たとえばジャムのようなモッズ系、スペシャルズのようなスカ・レゲエ系、エルヴィス・コステロのようなパブ・ロック系、エコー&バニーメンのようなオルタナ系、トーキング・ヘッズのようなエスニック系、DEVOなどのテクノ、スロッピング・グリッスルのようなノイズ系などと、実に雑多で、つまりは「それまでにはない」ロック/ポップスを標榜しているものはすべてNW扱いされていた。

 日本に限っても、YMO、RCサクセション、シーナ&ロケッツ、ヒカシュー、プラスティックス、ムーンライダーズ、ジューシィ・フルーツ、フリクションと並べて、「みんな同じジャンルです」と断言する人は今いないだろう。だが、1980年前後はすべて「NWバンド」として、ひとくくりにされていたし、聴く方も同じとは思わなかったが、そこに共通したムーブメントは感じていたと思う。少なくとも自分はそうだった。

 そこに共通していたのは、自分の解釈で言えば「ある種のひねくれ精神」だった。

 

 NW登場以前のパンクは、それまでのストーンズに代表されるような王道(産業)ロックを真っ向から否定するために出てきた存在で、だからリズムもビートもよりシンプルで攻撃的だった。もちろんNWにも、そういうパンクを継承したバンドもあったが、そこにはなんらかの「ひねり」を加えた(加えようとした)姿勢があったと思う。

 で、自分が自分のことをNW世代だと思うのは、そのひねくれ精神=斜に構えた姿勢が、良くも悪くも身についてしまったなあ、という自覚があるからだ。

 もちろん、一方では自分たちは「サザン世代」とも呼ばれているので、みんながみんなそうではないが、のめり込んだ音楽がサザンではなくYMOだったり他のNWバンドだったりしたことで、その後の自分の精神の方向性は決まってしまったんだろうと思う。

 Facebookにもちょっと書いたが、自分にとってのYMOは、単なる音楽ではなく、物の見方や考え方に大変影響を及ぼしている。

 具体的にはメンバーの発言だったりするのだが、それらをヒントに、いろんな本を読んで、たとえば「信じる前に疑え」とか「誰かの受け売りではなく、自分の言葉として咀嚼して考えろ」といった、どちらかといえば哲学的なことを考えるようになった。

 今から振り返れば、それは功罪ともにあって、「功」でいえば、たとえばマスコミの報道を真に受けないとか、もっともらしい言説は疑ってかかるということが習性になっているし、「罪」としては、頭でっかちになって、他人の親切や愛情を素直に受け取れなかったり、「理屈っぽい」というレッテルを貼られたりということもあった。

 つまり一長一短あったわけだが、人間、歳を取ると少しずつ角が取れてくるもので、いろいろ学習していくうちに、「罪」の部分は少しずつ軌道修正できるようになってきた。

 で、そういう自分から見ると、現在の若者、20~30代の人たちは、とても素直に映る。

 時には、その素直さがとても清々しくていいなあ、と思える。

 ただ、一方で、「そんな素直で大丈夫なの?」という気もしている。

 自分は、2011年3月11日を境に、生き方を改めた。

 それまでもかなり自分勝手に生きてきたつもりだったが、やっぱりどこかで妥協や弁解を自分に強いていたんだろう。

 しかし、3.11以降は、もうそんな余裕はないと気がついた。自分も世界も残り時間がないかもしれないんだから、本当にやりたいことをやっておかなければと思って、自費で本を作った。

 TwitterでもFacebookでも、言いたいこと、言わなければいけないと思うことを、前以上に遠慮せずに言うようにした。

 

 その際に役に立っているのが、ひねくれ精神、つまり「なんでも疑ってかかる精神」である。

 さきほど、「マスコミ報道を鵜呑みにしない」と書いたが、では何を頼りにするのか。ネット上に氾濫する情報は、当たり前だが玉石混淆だ。そしてもちろん、自分と100%同じ考えの人もいない。その自分の考えも、100%正しいわけではない。

 そのとき、「なんでも疑ってかかる精神」が身についていれば、他人同様、自分自身も客観視できる=疑えるのである。

 そうすれば、いちいち考えながら、自分の考えも軌道修正し、他の人の考えも受け入れられるようになる。

 信じたいために 親も恋人をも すべてあらゆる大きなものを疑うのだ

 これは早川義夫率いる伝説的GSバンド、ジャックスの「ラブ・ジェネレーション」の歌詞だが、ここにあるとおり、「なんでも疑ってかかる」というのは、「最終的になんでも否定する」というのではなく、最終的に信じられるための手段なのだ。

 NHK朝ドラの『あまちゃん』で言えば、主人公の天野アキよりも「親友」のユイちゃんである。腹黒い部分と素直な部分を併せ持つ彼女こそ、これからの時代をしたたかに生き抜く若者の理想像だと自分は思う。

 というわけで、若者よ、信じるために疑え。

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