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2013年5月16日 (木)

軍隊とは「ケチな人殺し」の集団である。

自分は人間を営んで、かれこれ半世紀になろうとしているが、いまだにどうしてもわからないことがある。

 

なぜ、個人として人を殺傷すれば罰せられるのに、軍人として同じことをすれば許されるのか。

 

いや、許されるどころではない。この日本では、そういう兵隊が死んだら、「英霊」として奉られているそうである。

 

自分には妻も子供もいないが、世の親御さんは、この大いなる矛盾を、息子や娘にどう説明しているのだろう。不思議でならない。

 

 

日本は軍隊を持たない国である。憲法にそう規定されている。

「いや自衛隊があるではないか、あれは立派な軍隊だろう」という人もいるが、戦わない軍隊は軍隊ではない。自衛隊は1954年にできて以来、他国と交戦したことがないから、実際に軍隊ではないのである。

(英語表記ではJapan Self-Defense Forcesであり、Armyではない。したがって、安倍晋三総理がよく言う「諸外国では自衛隊は軍隊と認識されている」というのは嘘である)

 

もちろん先刻ご承知のように、先進国と言われている国のほとんどは軍隊を持っている。その中にはアメリカのように、第二次世界大戦後も何度となく他国と戦っている軍隊もある。

 

それらの軍隊に所属する兵士たちは、このこと、つまり「なぜ個人として人を殺傷すると罪になり、軍人として殺傷すれば不問になるのか」について、悩んだりしないのだろうか。

 

「国民のため」「国家の正義のため」に行うことだから、という理由で、彼らは納得しているのだろうか。

 

しかし、その戦争が本当に「国民のため」になるのか。それに、一口に国民と言っても、いろんな考えや立場の人間がいる。自国民でも殺してしまいたい奴もいれば、多国民でも生かしておきたい立派な人もいるだろう。

 

また、「国家の正義」とは何か。それは未来永劫、変わらないものなのか。

 

これも先刻ご承知の通りだが、もちろん、そんなことはない。

1945年に日本が戦争に負けた後、大日本帝国の指導者たちは、侵略戦争の遂行者として処罰された。それまで「正義」としてまかり通っていた「八紘一宇」が大嘘だったと否定され、学校の教科書は墨を塗られた。そして「民主主義」が新しい「正義」として君臨した。

 

いや、このように大上段に歴史を振り返ってみなくても、「国家」と個人の利害が合致しないことなんて、いくらでもあるだろう。たとえば裁判。原発事故で被害に遭った福島の人たちが国を相手取って訴訟を起こす。そういう時の「国」は正義か。それとも原告の福島の人たちが悪か。

 

そういう、利害の一致しない、かといって親兄弟でも友達でもない、つまりは実体のない「国家」の、それも時と場合によってコロコロ変わる「正義」のために、見ず知らずの他国の人間の生命や健康を奪おうと思える、そんな人間の方が自分には異常としか思えない。

 

まだ、金のために人を殺傷するという方がわかる。自分はどんな大金を積まれてもやらないが。だがそれでは、やくざと選ぶところがない。

 

その、やくざ…で想い出したのが、『仁義なき戦い』をはじめ、数多くのやくざ映画の脚本家として名を馳せた、笠原和夫の書いた名セリフである。

 

それは、昭和43年、1968年に公開された『博打打ち 総長賭博』という作品のクライマックスに現れる。主演の鶴田浩二扮するやくざは、義理と人情のしがらみの間で悩んだ挙げ句、自分が属する組の義兄弟で、妹(藤純子)の夫でもある若山富三郎を斬り、さらには叔父貴にあたる金子信雄にも刃を向ける。

 

金子信雄は叫ぶ。

「叔父貴分のワシにドスを向ける気か…てめえの任侠道はそんなもんだったのか!」

鶴田浩二は返す。

「任侠道か…そんなもんは俺にはねえ…俺はただの、ケチな人殺しなんだ…」

 

この作品は、それまでの任侠映画が美しく謳い上げてきた義理人情や、格好よくて好人物のやくざという「建前」=嘘を暴き、やくざというのは結局、ただの人殺し=犯罪者にすぎないという現実をさらしたことで高い評価を受け、その後の『仁義なき戦い』などの実録やくざ映画へのきっかけにもなった。

 

しかし、やくざが人殺しの集団なら、軍隊も同じ、「ケチな人殺し」の集団である。いや、軍隊は「国家」という表看板を背負っている分だけ、いくら規模が大きくてもしょせんは民間組織に過ぎないやくざ=暴力団よりもタチが悪い。なにせ、国家による巨大暴力集団なんだから。

 

その意味で、橋下徹・大阪市長ならびに日本維新の会代表が言っていることは、「人殺し=犯罪者の集団には売春婦をあてがえ」ということだ。

(もちろん、日本では売春は非合法だ。橋下徹は「風俗の活用」と言ったが、それが合法という意味でなら、風俗嬢たちに対する重大な差別でもある。であれば、橋下には部落民である自身を差別したという理由で、佐野眞一を批判する資格はない)

 

かつての任侠映画同様、日本の軍隊もさんざん美化されてきた。いや、今でも「ご英霊」とのたまう安倍首相以下、美化したい政治家が、この国にはウヨウヨいる。

 

そうした政治家たちが、世界でほとんど唯一、戦争をしないと誓った憲法、つまり、「あらゆる人殺しはすべて犯罪である」と規定している憲法をやめて、国民を人殺しにさせる憲法に変えようとしている。

 

人を殺したくもないし、殺されたくもない国民がそれを阻止できる方法は、選挙で投票するしかないことを、あなたもよく知って欲しいと思う、今日この頃である。

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