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2013年5月 3日 (金)

「この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか?」

 

 早いもので、清志郎が亡くなって、もう4年になる。

 

 昨日、つまり52日が命日になるのだが、今の自分に強く残っているのは、そのちょうど一週間後の59日、青山葬儀所で行われた「AOYAMA ROCKN ROLL SHOW」のことだ。

 あの日はちょうど日曜で、しかも異常に暑い日だった。確か昼前には都営大江戸線の青山一丁目駅に着いていたはずだが、それから5時間以上、いつ果てるとも知れない列に並び続け、葬儀所に辿り着いたときには、すっかり日が暮れていた。

 あのとき、照りつける日射しと喉の渇きと疲労で、脱落しそうになる心を支えてくれたのは、iPodの中で響いていたRCサクセションと、同じように並んでいた、mixiの清志郎コミュニティのメンバーによる書き込みだったと思う。

 

 そのmixiで想い出したが、清志郎が亡くなった翌日、自分もmixiの日記に、こんなことを書いていた。

 

 

 そりゃないよと思った。

 

 けれど、どうやら本当らしい。いまだに実感はわかないけど。

 そして、これは、清志郎が我々に与えた最大にして最後の宿題なのかもしれない、とも思う。

 

 つまり…

 俺たちは、清志郎にすべてを負わせてはいなかったか。

 反戦、反原発、反マスコミ、反・今どきの薄っぺらなJ-POPetc

 吠える清志郎のファンでいることで、そんな清志郎に喝采を送るだけで、自分たちが免罪符を得た気になっていなかったか。

 少なくとも俺はそうだった。

 最近の、たとえば北朝鮮の挑発行為に対して、日本国憲法を無視して、「迎撃ミサイルを持とう」などとのたまう麻生首相や自民党議員を、批判することを忘れていた。

 そんな世の中の風潮に、日本人に、そして、いつまでたっても自ら動こうとはしない、ファンという名の「烏合の衆」に、清志郎は愛想を尽かしてしまったのだろう。

 それで、自らの命と引き替えに、「てめえら、いい加減に目を覚ませ!」と、叫んだのだ。きっと。

 だから、あえて「憲法記念日」の前日を選んだんだろう。

 

 「こんなでたらめな町とさよならしたいよ」と歌う一方で、清志郎は、「大人だろ、勇気を出せよ」とも歌った。相変わらず、いや、清志郎がこれらの歌を歌った時よりももっと、世の中は、さまざまなでたらめがまかり通ってしまっている。そんなでたらめな世の中に生きる大人は、「でたらめじゃねえか!」と、言わなければいけない。勇気を出して、大きな声で、たった今から。

 

 清志郎を殺したのは、俺たちなんだから。

 

 

 今読むと大変青臭い表現で、我ながら恥ずかしいというか、この4年で自分も歳を取ったんだなあと思うが、言いたいことは変わっていない。

 文中にあるように、この当時は麻生太郎を首相とする自民党政権だった。その約半年後、民主党が政権を取るのだが、ご承知のように今また自民党に政権が戻り、自分が文中で書いている頃よりもさらに、世の中はでたらめがまかり通る、ひどい有り様となっている。

 言い換えればそれは、清志郎が歌という形で警鐘を鳴らし続けてきたことが、ことごとく現実のものとなっている、ということでもある。

 

 それが骨身にしみたのが、言うまでもない福島第一原発の事故である。 

 1988年、反原発ソングである「サマータイム・ブルース」や「ラブミー・テンダー」を収録したRCサクセションの『COVERS』は、当時の所属レコード会社である東芝EMI(言うまでもなく、原発を製造していた東芝の子会社で、現在のEMIミュージック・ジャパン)から発売を中止され、その後、キティレコードより発売された。(ちなみにキティはその後、ユニバーサルミュージックとなり、EMIも昨年、ユニバーサル傘下に収められたため、皮肉にも同じレコード会社となった)

 福島第一原発事故の後、件の「サマータイム・ブルース」は脱原発デモなどで何度も歌われ、演奏された。「ラブミー・テンダー」の方も、UAなどによる「おかんユニット」割烹着〜ずにカバーされ、坂本龍一とロッキング・オン主催の脱原発音楽フェス「NO NUKES 2012」の最後で流されて反響を呼んだ。

 …だが、これも言うまでもなく、そういう動きは世間の中ではごく一部に過ぎなかった。昨年末の衆議院選挙で、脱原発を標榜した候補はことごとく敗れ、政権に返り咲いた自民党の安倍晋三首相は、原発行商人となって各国に原発を売り歩いている。じきに原発の再稼働もゴリ押ししてくるだろう。

 

 そして、それ以上に安倍首相が熱を上げているのが、今の日本国憲法を棄てて自主憲法を制定する、すなわち改憲だ。

 おそらく昨年末の衆議院選挙で自民党に投票した人のほとんどは目を通していなかっただろうと思うが、自民党の改憲案は一言で言って戦前、治安維持法があった頃の日本以上の全体主義国家にしようという内容だ。

 自民党の改憲案では、天皇を元首とし、軍隊を持ち、国民の基本的人権をはじめとする権利=自由は、「公の利益に反しない限り」認める。逆に言えば、「公の利益に反する」と認められた場合は、権利は剥奪される。では誰が「公の利益に反する」と認めるのか。もちろん国家権力である。たとえば自分が安倍晋三の批判をこうしたブログで書く。それが「公の利益に反する」とされれば、国家権力は自分を逮捕さえできるのだ。権力者にとって、こんな都合のいい憲法はない。逆に言えば、権力を持たない人間にとっては地獄のような憲法で、その地獄から逃れるには、「奴隷」になるしかないだろう。

 

 あなたはこの考えを極論だと思うだろうか。

 では、最近の安倍総理の言動はどうしたことだろう。A級戦犯が祀られている靖国神社に閣僚が参拝したことを「批判」しただけの中国・韓国に対し、「いかなる脅しにも屈しない」と対決姿勢を強め、沖縄の強い批判を受けながら強行した「主権回復記念式典」で、国家行事でもないのに出席を強要した天皇・皇后に対し「天皇陛下万歳」を三唱し、「ニコニコ動画」主催のイベントでは自衛隊が展示していた新型戦車に迷彩服姿で乗り込んで笑顔を振りまく。

 しかも、恐ろしいのは、これらの言動に対するマスコミの無反応・無批判ぶりだ。自分の感覚では、かつてのマスコミであれば、たとえNHKであっても、これらのうちひとつでも問題視していたはずだが、少なくとも全国紙や地上波テレビで、このことが議論されているような気配はない。週刊誌に至っては、安倍首相や自民党の批判さえしなくなっている。

 「経済政策がうまくいっているから」というのが、その表向きの理由のようだが、その経済政策にしても、本当に日本国民が恩恵を受けるものなのかどうかは定まっていない。人によっては、さらに経済格差が開くという見方もある。それに、仮に経済政策がうまくいっても、何も自由に物が言えないような暗黒社会になって、それで日本国民は幸せなのだろうか。自分は絶対に嫌である。

 

 昨年の衆院選前日、自分は数時間だけだが、山本太郎の選挙事務所に行き、電話での投票呼びかけの手伝いをした。その夜、JR高円寺駅前で最後の演説に立った山本太郎の応援に駆けつけた音楽評論家・湯川れい子は、清志郎のこんな言葉を紹介した。

 

 

 地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしているだけ。阪神大震災から5年。俺は大阪の水浸しになった部屋で目が覚めた。TVをつけると5ヶ所ほどから火の手がのぼっていた。「これはすぐに消えるだろう」と思ってまた眠った。6時間後に目が覚めると神戸の街は火の海と化していた。この国は何をやっているんだ。復興資金は大手ゼネコンに流れ、神戸の土建屋は自己破産を申請する。これが日本だ。私の国だ。とっくの昔に死んだ有名だった映画スターの兄ですと言って返り咲いた政治家。弟はドラムをたたくシーンで俺はロックン・ロールじゃありませんと自白している。政治家は反米主義に拍車がかかり、もう後もどりできやしない。そのうちリズム&ブルースもロックも禁止されるだろう。政治家はみんな防衛庁が大好きらしい。人を助けるとか、世界を平和にするとか言って実は軍隊を動かして世界を征服したい。

 俺はまるで共産党員みたいだな。普通にロックをやってきただけなんだけど。そうだよ、売れない音楽をずっとやってきたんだ。何を学ぼうと思ったわけじゃない。好きな音楽をやっているだけだ。それをなにかに利用しようなんて思わない。せこい奴らとは違う。民衆をだまして、民衆を利用して一体何になりたいんだ。予算はどーなっているんだ。予算をどう使うかっていうのはいったい誰が決めているんだ。10万円のために人を殺すやつもいれば、10兆円とか100兆円とかを動かしている奴もいるんだ。いったいこの国は何なんだ。俺が生まれて育ったこの国のことだ。君が生まれて育ったこの国のことだよ。どーだろう、……この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか? 戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。俺達はジョン・レノンみたいじゃないか。戦争はやめよう。平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう。きっと幸せになれるよ。

 

 

 これは、「日本国憲法第9条に関して人々はもっと興味を持つべきだ」と題された、清志郎の原稿の一部。テレビガイド誌『TV Bros.』に連載していた「瀕死の双六問屋」のために書かれたものだが、どうした理由か、没になったという(まあおそらく、「とっくの昔に死んだ有名だった映画スターの兄ですと言って返り咲いた政治家」に配慮したんだろう。その政治家が、現在「日本維新の党」党首として改憲を煽っているのは誰でも知っている)。その後、この原稿は単行本『瀕死の双六問屋』で復活し、現在の小学館文庫版にも掲載されている。

 「阪神大震災から5年」とあるから、2000年に書かれたのだろう。福島第一原発事故より11年も前になるわけだが、ここに記された「予言」は、ことごとく現実のものになり、またなろうとしている。

 

 それを止めないでいいのか? もしそれを止めないと、この日本はどうなるのか? 今から数十年前、それを止めなかったこの日本は、その後どうなって、国民はどんな目に遭ったのか? そのくらいの想像力も、この国の人々にはなくなったのだろうか?

 少なくとも自分は嫌だ。なんでも言える自由を奪われるのも、当然の権利を奪われるのも嫌だが、それと同じくらい、清志郎を聴いてきた、その人と歌を愛してきた人間として、絶対に許せないからである。

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真っ当な世の中は、この世の外 (頭の中) にある。
非現実の内容を堅実の内容に変換できれば、それは創造である。
日本人には、創造力がない。

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