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2013年1月 1日 (火)

真の文明は山を荒らさず川を荒らさず村を破らず人を殺さざるべし

 ここ数年、年下の人たちから、同じような話をよく聞かされる。

 それは、自分と同世代、つまり現在40代後半の人間が、いかに人としてダメかという話だ。

 共通しているのが、仕事ができない。PCが使えない。にも関わらずプライドは高い。威張っている。金にひどく執着する。過去の「よかった時代」の話ばかりする…といった点である。

 話をしてくれた人は、自分の年齢を知っている人もいれば知らない人もいた。なので、暗に自分のことを言われているのかもしれないが、自分もそうかと言われれば、よくわからない。ただ、自分では、仕事はできないかもしれないが、威張っているつもりも、金に執着しているつもりもない。威張れるほどのことをやってきたわけでもないし、過去も現在も、金を持っていないからである。

 ただ、自分と同世代の人間は、下の世代からすればそう映るんだろうな、とは思う。

 

 自分が大学を卒業する頃はバブル景気の入り口だったので、空前の売り手市場で、私大の国文科、学業成績はよくなく、コネもない自分であっても、いくらでも就職口はあった。

 自分の場合はさらに、就職活動をすべき時期に教育実習に行き、その前後もあまり積極的に就職活動をしていなかったので、一般的に「いい会社」とされるようなところには就職できなかったが、もともと普通のサラリーマンになりたいとも、なれるとも思っていなかったので、あまり気にはしなかった。 

 ただ、自分と同級の人たちの多くは、そういう「いい会社」に就職したはずだ。そういう人たちは、さして苦労もせず入社し、「金の卵」ともてはやされたため、ある程度までは順調に出世しただろう。ところがバブルがはじけると、それまで楽をしていた分、時を同じくして急速に進んだITなど、時代の変化に対応できず、一転して会社のお荷物となってしまった。しかし、ある程度の地位はあるので、会社も簡単には首を切れない。上からも下からも不満がたまる。それを本人も感じているので、余計に威張る、過去を懐かしむ、金に執着する、という状況になっているんだろう。

 

 書いてきたとおり、自分自身はそういう立場ではないのだが、下の世代から、そうした同世代への批判を聞くたび、どこかすまない気持ちがする。同時に、そうした同世代への同情心はまったくないが、あの時代の大学生の多くは、ある意味でバブルの影響をモロに受けた「犠牲者」だったのかもしれないとも思う。

 そういえば大学時代、バブルを象徴するようなことがあった。あれはまだクラスごとの講義があった頃だから一年か二年だと思うが、同じクラスのK君が、スキーに行ったときに学生証を見せてナンパをしたという話が広まった。本人から直接聞いたかどうかは忘れたが、その後、自分の親しかった友達数人とその話題になり、K君をさんざん馬鹿にした記憶がある。だが考えてみれば、当時、K君のような学生はたくさんいて、それを馬鹿にしていた自分たちの方がマイノリティだったのだろう。

 

 ここから話は四半世紀を超えて現在に飛ぶのだが、今の多くの日本人の心性を形作っているのは、このバブル時代だと思う。バブルで恩恵を受けた人も受けなかった人も、バブルが忘れられないのだろう。

 よく言われていることだが、それまで、少なくとも1970年代までの日本人の多くは、「金がすべて」という考え方はしていなかったはずだ。バブルによって、「コツコツ頑張る」という日本人の意識は明らかに変わった。それは、バブルがはじけても基本的には変わっていないと思う。

 その後、バブルを知らない世代が社会人の仲間入りを始めた。今の30代以降は、日本が景気のいい時代を知らない。だから、バブルが忘れられないアラフィー世代を「違う人種」としか思えないのだ。

 

 今回の衆院選。ご存じの通り、自民党の選挙用キャッチフレーズは「日本を取り戻す」だった。おそらく、自民に投票した人の多くは、「できればバブル景気の頃の日本を取り戻したい」と思った世代だったのだろう。一方、おそらく、バブルを知らない=「取り戻すべき日本」を知らない20代、30代の多くは、選挙に行かなかった。その結果が、自民党の大勝だったのだ。

 そして自民党は、まさに「バブルよ、もう一度」といわんばかりの政策を打ち出し始めている。国債をじゃんじゃん発行して金をばらまき、公共事業を乱発、改憲で自衛隊を軍隊にして軍需産業を儲けさせ、原発も再稼働・推進しようとしている。

 

 そもそも、原発自体がバブル以外の何ものでもない。実際は建設費、原料費、人件費、廃棄物処理費、立地自治体への交付金など、どの発電方法よりも巨額の出費が必要なのに、それをすべて電気料金に上乗せして、「原子力発電は安いですよ〜」「安全ですよ〜」と嘘をつき続けてきた。立地自治体も原発バブルの交付金に踊らされ、原発が来れば夢のような暮らしができると思い込んだ。

 そのバブルがはじけたのが、2011311日だった。そして、バブルの代償はあまりにも大きかった。

 それでもまだ、日本人はバブルの夢を見ようとしている。

 

 ある意味では、理解できなくもない。人間というのは、長い間培ってきた物の見方や考え方を、簡単には変えられない。だから、今なおバブルを夢見る人たちに対し、「日本にはもう高度成長は来ませんよ」「これからはこじんまりとした、身の丈にあった国になりましょう」と言って説得するのは至難の業だろう。しかし、日本人が考え方を変えない限り、バブルどころかこの国そのものが終わってしまう。

 

 では、どうすればいいか。

 理想は、バブルを知らない若い世代に、これからの日本の形を作ってもらうことだと思う。

 かつて忌野清志郎が書いていたように、日本は戦争をしない、平和を希求するという素晴らしい憲法を持っている。今の若者は人と争うのを好まず、人に優しく接したいという気持ちが強い。それは、まさに日本国憲法の精神そのものだ。だったら、日本という国をそういう国にすればいい。人に対して威張らず、金に執着しない。その代わり、謙虚に、金や物ではなく人の心を大事にする、かつてこの国の人が持っていた国民性を取り戻す、そんな「日本を取り戻す」ことを考えればいい。

 今日、つまり2013年元旦の東京新聞では、一面の「筆洗」に加え、1213面においても、倉本聰が対談の中で、この言葉を引用していた。

 

真の文明は山を荒らさず川を荒らさず村を破らず人を殺さざるべし

 

 これは足尾銅山鉱毒事件で政府の責任を追及し、明治天皇に直訴まで企てた政治家、田中正造の言葉だ。

 

 自然を、コミュニティを破壊しない、人も傷つけないものが、本当の文明だ。そう心から思える若者が増えれば、同じように思える人を政治家に選ぶだろう。それができれば、日本は変わる。原発も止まる。

 

 自分は今年、年男である。あと二度ほど年男になれば、そこらあたりで寿命が尽きるだろう。それまでは、そうした若者たちを増やすために、微力ながら頑張りたい。若者たちに迷惑をかけた世代として、それがせめてもの罪滅ぼしだと思っている。

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今読み返してみて、「アラフィー世代」ってなんだ?(笑)「アラフィフ世代」だよな。

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