« 師走の選挙。 | トップページ | 12/9に日吉でライブを行います! »

2012年12月 2日 (日)

岸田蕃さんのこと。

 昨日、何気なく郵便受けを見たら、一通の葉書が届いていた。

 そこには「喪中につき年末年始のご挨拶を失礼させていただきます」とあり、「夫 蕃が九月十三日 永眠いたしました」とあった。岸田蕃さんの奥様、弘子さんからのものだった。 

 岸田蕃さんとは、俳優・岸田森の実のお兄さんである。

 3年前、自分は『ウルトラマン オフィシャルデータファイル』という週刊雑誌の編集者だった。デアゴスティーニという会社の出している「週刊分冊百科」の1シリーズで、毎週締め切りに追われていた。
 その中には、ウルトラシリーズの俳優やスタッフ、制作裏話や関連商品などを扱った記事ページがあり、年来の岸田森ファンだった自分は、『帰ってきたウルトラマン』に坂田健役でレギュラー出演した岸田森さんについての記事を作ろうと考え、肖像権の許諾を取るために、蕃さんのお宅に連絡した。
 電話口に出た蕃さんは、「そういうことなら、一度僕の家に来てください。いろいろ話しましょう」と、言ってくれた。
 
 そんなことは初めてだった。一面識もない、どこの誰だかわからない人間を、快く迎え入れてくれるというのだ。そして自分は、その言葉を社交辞令だとは思えなかった。

 それからほどなくして、港区白金の閑静な住宅街にある、蕃さんのマンションを訪れた。『ウルトラマンデータファイル』を作っていた同僚で、自分と同様、森さんが牧史郎役で主演していた『怪奇大作戦』の大ファンである志村彰洋君が一緒だった。
 玄関のチャイムを押すと、にこやかな蕃さんと、奥さん・久美子さんの顔があった。兄弟だから当然なのだが、見た目も雰囲気も、森さんによく似ていると思った。もし森さんが生きていたら、こんな感じだったのかもしれない…。

 リビングに招き入れられた我々は、掲載誌についての説明もそこそこに、岸田森さんへの思い入れをまくしたてた。自分は、生前からの岸田森ファンで、高校二年の冬に森さんが亡くなった時、とてもショックだったこと、志村君は、子供の頃に再放送で見た『怪奇大作戦』と、リアルタイムで見た『太陽戦隊サンバルカン』(森さんが嵐山長官役でレギュラー出演していた)の素晴らしさなどについて語った。
 それを楽しそうに聞いていた蕃さんは、「僕はね、森が出た映画やテレビの作品をほとんど観てないんだよ」と、意外なことを言った。蕃さんは演劇は好きで、森さんが草野大悟らと結成していた「六月劇場」などの芝居は観たそうだが、映画やテレビ作品での森さんには、あまり興味なかったのだという。
 けれど、森さんや、従姉妹である岸田今日子さんとは、大人になってからも仲が良く、よく一緒に飲んだりしていたそうだ。
「森はよくショーケンや(松田)優作、(水谷)豊を連れて飲んでてね。優作は家にも来たことがあるよ。とても礼儀正しい、いいヤツだった」
 その言葉には愛情がこもっていて、松田優作の大ファンでもある自分は、とても嬉しかったことを覚えている。

 他にも蕃さんは、森さんについて、いろんなことを語ってくれた。幼い頃からの写真を見せてくれながら、蝶々の採集はもともと自分の趣味だったこと、樹木希林さんと別れる際、森さんに頼み込まれた蕃さんが希林さんの両親を訪ねたこと、森さんとともに傑作をいくつも作った実相寺昭雄監督は自分の同級生だったこと、その実相寺監督や俳優の寺田農さんに「火星の土地」を売りつけた、蕃さんや森さんのユニークなお父さんのこと、美人だったお母さんのこと…。

 そして、森さんの死についても、しみじみというより、淡々と語ってくれた。

「前から、酒を飲みすぎるからやめろって言ってたんだ。『喉に酒が引っかかる』なんて言ってたから、それはおかしいと、嫌がる森を無理矢理病院に連れてって。でも、もう手遅れだった。しょうがないよ。人はいつか死ぬんだから」

 帰り際、大事な想い出の写真を「好きなだけ持って行きなさい」と貸してくれた蕃さんは、「またそのうち、遊びに来なさい」とも言ってくれた。

 その言葉が嬉しかったのと、そこで過ごした時間がとても楽しくて、自分と志村君は、その後も二度ばかりお邪魔させてもらった。一度は、蕃さんの話とお借りした写真を使い、ライターを立てずに自分で書き上げた記事を持参して。もう一度は、森さんがナレーターを務めた『ウルトラマンA』のTAC・美川隊員を演じた女優で、現在は銀座に、奇しくも『蕃』という名の喫茶店を開いている西恵子さんとともに。
 時には、蕃さんの好きなジャズのCDを自慢のオーディオで聴きながら、いろんな話をした。仕事のこと、社会や政治のことも、若輩者の自分たちと同じ目線で話してくれた。そのたびごとに、おいしいお茶やお酒をご馳走になり、ある時は食品メーカーに勤めていた蕃さんお手製の、とてもおいしいライスカレーまでご馳走になってしまった。今から思えば、図々しいにもほどがあると思う。けれど、蕃さんのお宅で過ごした時間は、いつも楽しかった。

 『ウルトラ』の仕事が終わり、勤めていた編集プロダクションも辞めた自分は、しばらく他のことをしていて、蕃さんの家にお邪魔する口実を作れないまま、一年、二年と経ってしまった。年賀状だけはやりとりしていたので、てっきりまだお元気だとばかり思っていた。こんなことなら、口実なんか設けず、もう一度伺えばよかった。いくらでも、そのチャンスはあったはずなのだから。

 奥さんの弘子さんから来た葉書には、こう記されている。
「残された私は心に大きな穴があいてしまい なかなか修復出来ずにおります」
 わずか数回、お会いしただけに過ぎない自分でも、心にぽっかり穴があいたような気がする。

 
 蕃さん、最後にお目にかかれず、ごめんなさい。
 でも、自分は、人生の先達として、素晴らしい人に巡り会えたと思っています。 ありがとうございました。

 何十年か後には、自分もそちらに行きます。それまで、岸田森さんや今日子さん、松田優作さんたちとおいしいお酒でも飲みながら、待っていてください。

Kisida_113156
 

« 師走の選挙。 | トップページ | 12/9に日吉でライブを行います! »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

はjめまして、つい最近徳田さんのブログの中の岸田蕃の文字に衝撃を受けました。蕃さんとは仕事を通じて10年ほど前に知り合いました。何度か同僚2,3人と蕃さん行きつけの居酒屋さんで飲みました。ここ4,5年お付き合いが途絶えていたので、お元気にしているだろうかと思いつつも連絡を取っておらず、ほんの偶然に徳田さんのブログで、蕃さんの死を知りました。もう一度会いましょうと電話で話したのが最後でした。命日の日にコメントをと思いましたがうまくこの場所までたどり着けず、命日を過ぎてしまいました。
日本のどこかに、蕃さんの命日に冥福を祈る者がいることを知ってほしくてコメントしました。
奥様は今もご健在なのでしょうか?お子さんは居なかったのを聞いていたので気がかりでいます。

じょーじきみこさん、コメントありがとうございます。

きみこさんは自分より以前に岸田蕃さんとお知り合いだったんですね。
自分はわずか数年、お会いしたのも数回というおつきあいでしたが、とても心に残る、やさしい人でした。

生前、うかがったところによると、岸田森さんは鎌倉霊園に眠っておられるそうです。
そのうちお墓参りしようと思いながら、何年も経ってしまいました。

蕃さんも鎌倉霊園に眠っているのでしょうか。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/577403/56235066

この記事へのトラックバック一覧です: 岸田蕃さんのこと。:

« 師走の選挙。 | トップページ | 12/9に日吉でライブを行います! »

フォト
無料ブログはココログ
2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

ウェブページ