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2012年10月 6日 (土)

「固有の領土」なんてものはない。

 ここ数年、定期的に雑誌を買うなんてことはほとんどない。

 まあ、自分だけでなく、多くの人がそうだろうから、雑誌が売れないんだろうと思う。
 その原因はいろいろあると思う。読者側では、趣味や価値観の多様化もそうだろうし、若年層の読解力の低下もあるだろう。作り手としては、不況だから売れているものに追随したがり、新たな価値観や世界観、というほどおおげさでなくても、変わったものを呈示しづらくなっているのだろう。マニアックなものはどんどん細分化されているが、それらの雑誌の多くは「好きな人だけが買えばいい」という作りで、たとえば「フィギュア雑誌」というカテゴリーに居心地良く収まり、趣味が異なる人間や現実世界に対するインパクトが欠けている。
 その昔、「写真時代」という雑誌があった。版元は白夜書房。一時期はパチンコ雑誌でビルを建て、現在はパズルものの雑誌をたくさん出している出版社である。雑誌名からわかるとおり、当初はグラビア雑誌として作られた、はずである。実際に、この雑誌の売りは、アラーキーこと荒木経惟が撮る扇情的な女性ヌードグラビアだった。
 が、だからといってこの雑誌が単なるエロ雑誌だったかと言われれば、それはまったく違う。この雑誌には、「老人力」などで知られる赤瀬川原平が、あの「トマソン」を連載していたのをはじめ、糸居重里や平岡正明などもコラムを執筆。無名時代の岡崎京子なども漫画を描いていたという、今で言えば完全にサブカルマガジンだった。現在40〜50代の男性で、この雑誌に影響を受けた人は多いと思うが、自分もアダルトビデオ雑誌の編集者をしていたときは大井武蔵野館の上映特集や、音楽ライターで、現在は「円盤」というCDショップも運営している田口史人さんに、流行と全く関係なく好きなディスクをレビューしてもらうという、完全に趣味丸出しのページを作ったりした。
 また、情報誌では、あの「ぴあ」のライバル誌と言われた「シティロード」というのもあった。映画やコンサート、演劇などの情報を載せていたのは「ぴあ」と同じだが、「ぴあ」が一切批評しなかったのに対し、「シティロード」は映画評論家の松田政男など、書き手の主観やこだわりが強く出た辛口の批評を前面に出していた。また、今や作家として中堅どころになった町田康も、ミュージシャンの町田町蔵としてユニークな日記コラムを連載するなど、情報誌でありながら読み応えがあったので、自分も毎号買っていた。
 この「シティロード」や「写真時代」がなぜ面白かったのか。考えてみると、これらの雑誌は現実社会にケンカを売っていたからではないかと思う。
 確かに今でも、社会にケンカを売っているように見える雑誌はある。たとえば、「正論」とか「諸君!」「SAPIO」は、リベラルな民主主義社会に反旗を翻しているように見える。最近の尖閣諸島や竹島問題で、より中国・韓国叩きをヒートアップさせている「週刊文春」あたりもそうだろう。
 しかし自分には、これらの雑誌の編集者が、信念に基づいてこうした主張をしているようには見えない。一時期、「嫌韓流」などの本を出したところも同じだが、有り体にいえば、売れるからやってるだけなんじゃねえの? と思えるわけだ。
 たとえばそれらの雑誌の編集長が、赤尾敏のような人だったら、もっと違う内容になっているはずだ。赤尾敏は右翼ひとすじに生きた人と思っている人も多いが、戦前は熱心な社会主義運動家で、検挙されて獄中で仏教などの本を読み、転向した人である。それだけに右翼といっても単純な天皇主義者ではなく、昭和天皇に戦争責任はあると認めているし、対北朝鮮という意味で韓国にも好意的だったという。そういう人が作る雑誌は、世論や社会にケンカを売りながらも、いまの「右翼雑誌」より、もっと幅のあるものになるだろう。
 
 いつのまにか、話が遠くの方へ来てしまったような気もするが、そういうわけで、少なくとも自分にとって毎号買うほどの雑誌は「ほとんど」ない。唯一の例外が「SIGHT」という季刊誌である。
 これは音楽評論家の渋谷陽一が社長を務めるロッキング・オンから出ている総合誌で、キャッチコピーは「リベラルに世界を読む」である。もうかれこれ創刊して10年ぐらい経っているはずで、自分も創刊号からほぼ毎号買っている。特に、昨年の3.11以降は、ほとんどの総合誌が原発「事故」は報道しても、原発「問題」、その根源と責任がどこにあるかを追及しない中で、いち早く「自民党・東電・メディアが作った原発日本」というキャッチコピーの特集を表紙に掲げ、以後、以後6号にわたり連続でこの問題と向き合ってきた。
 といっても、たとえば「週刊金曜日」的な左翼的な視点はない。自分は昨秋から東京新聞を購読しているが、あれと比べても「SIGHT」の原発問題での立ち位置は、非常に冷静だと思う。ただ、この問題を解決できる糸口になるだろうと、編集部が考える人に、長々とインタビューするだけ。だから時として、テーマとその人の主張が食い違う部分も出てくる。高橋源一郎と内田樹の連載対談も、毎回のようにテーマと違う内容、結論が出るため、それを渋谷陽一がリード(各コーナーの冒頭書き)で「いやこれは実はテーマに沿ったもので…」などと苦しい言い訳をして取り繕おうとしているのが楽しい。
 
 そして、「選挙で原発を止める」と表紙に記された、2012AUTUMN号(VOL.53)は、読後、久々にハッとさせられた。それがこの一番上のタイトルである。
 この言葉も、高橋・内田対談で出てきたもの。この対談の前に高橋源一郎はテレビ朝日系の「報道ステーション」に出て、そこで尖閣・竹島問題について「どうでもいい」とコメントして、ネットでさんざん叩かれたそうだ。件の放送を自分は見てなかったが、それは近来まれに見るテレビの「面白い出来事」だったろう。
 なので、この対談の話題も必然的に尖閣・竹島問題についてだったが、そこで高橋源一郎が言ったのが、「そもそも『固有の領土』なんかないと思うけど」だったのだ。 
 この一言で、それまで漠然と、ああ、たぶん日本の領土なんじゃないのと思っていた自分は目が覚めた。確かにそうだ。どんな世界中の、いや宇宙空間を含めて、どんな土地であれ、どこかの国や誰かの「固有の領土」なんて存在しないのである。
 「固有」というのは辞書では「本来持っているもの」だ。その本来とは何か。人間なら生まれたときから。土地なら、その土地ができたときから。つまりどこかの国の「固有の領土」というのは、その国とその土地が同時に発生したのでなければ、成立しないわけだ。いや、仮に同時に発生したとしても、国=土地ではないんだから、国がその土地を占領したなら、それは「固有」=本来のものではない。つまりいかなる意味でも、「固有の領土」なんてありえない。
 よく考えたらバカバカしい、そんな物言いを、日本も他の国も、いい歳をした大人たちがいけしゃあしゃあと使って喜んでいる。そんな状況に対し、「どうでもいい」というのは正しい。いや、本当は高橋源一郎は「馬鹿馬鹿しい」と言いたかったのではないか。
 この対談は、他にも考えさせられることがいろいろある。たとえば赤坂真理という女性の書いた「東京プリズン」という小説の話から、日米開戦のとき、鶴見俊輔が「負ける側にいたい」と思って、最後の交換船で日本に帰国する際、「僕は国家を愛していないので、ひらがなのくにだ。ひらがなのくにに戻りたかった」と述懐する話。そして、これは同じ号で国際政治学者の藤原帰一も言っているが、他のマスコミではどこも指摘しない、石原慎太郎都知事が今回の日中問題の元凶であるという話など。
 さらに、これも自分がtwitterなどで言っていた、「脱原発になると経済が停滞するというが、原発がどんどん作られていった90年代、日本経済は悪化の一途を辿ったではないか」という意見が間違ってないことを裏付けてくれたのが、マクロ経済学者の小野善康のインタビュー。小野は、「脱原発は日本経済の脚を引っ張るのではなく、逆に最も経済効果の大きい政策だ」と、その根拠を明示して語っている。
 かつての「写真時代」と手法は違うが、「SIGHT」も、編集者が信念を持ち、静かに社会にケンカを売っている雑誌だと、俺は思う。
20121006_054241

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