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2012年3月17日 (土)

「日本はひとつのチーム」じゃないんです。

「日本がひとつのチームなんです」
 一年前、この言葉を発するCMが飽きるほど流れていたことを忘れた人は、おそらくいないだろう。
 言うまでもなく、これは東日本大震災を受けてAC(公共広告機構)が急遽制作したもので、通常のスポンサーがCMを自粛した代わりに、朝と夜とを問わず放送され続けた。そしてこの当時から、私はこのCMが大嫌いだった。
 ところが、3.11から一年を迎えるにあたり、テレビや新聞など大手マスコミが大合唱したのは「絆」という言葉。まさに「日本がひとつのチーム」として頑張りましょう、というメッセージだった。もちろん、私はこれにも嫌悪感を持った。
 なぜ私が、そうした言葉について拒否反応を示すのか。簡単に言えば、それはウソだからである。「日本はひとつのチーム」ではないからだ。

 もし「日本がひとつのチーム」だとしたら、なぜ東京電力は、政府は、経産省や文科省は、原発事故や放射性物質による被害についての正確な情報を国民に伝えなかったのか。なぜテレビに出てくる学者たちは、放射性物質の危険性について正しく語らなかったのか。なぜマスコミは、それらの情報を検証せず、ただ国民にそうした「大本営発表」を垂れ流したのか。
 過去のことだけではない。今なお、政府は原発事故が収束したと宣言し、立地自治体の住民はじめ国民の多くが反対、あるいは不安視している原発を再稼働させようとしている。それに電力会社はもちろん、経団連や大手銀行といった大手企業も乗っかっている。
 ご存じの通り、原発事故はまったく収束していない。福島第一原発からは、今も少なからず放射性物質が出続け、大気や土壌、海や川、つまり日本の国土すべてを汚染し続けている。しかし、大手新聞や地上波テレビは、まるで原発事故が「終わったこと」でもあるかのように、そうした事実に触れようとはしないし、原発事故以来、各地で盛り上がっている反原発・脱原発運動の報道も、ほとんどしない。
 その一方で、マスコミは、政府が推し進める瓦礫の広域処理を後押しするような報道を続けている。確かに「絆」を謳うには、全国が「痛み」を分かち合う広域処理は、一見妥当なことのように思える。しかし、実は広域で処理するものは、東北で出た瓦礫の20%に過ぎない。当事者である東北の首長らも、地元で処理すれば雇用も生まれるし、再利用の手立ても容易だから、自分たちでやらせてほしいと発言している。さらに瓦礫に含まれる放射性物質の正確な値も不確かなままなので、受け入れ先の各自治体住民は反対・不安視している。
 ざっと思い浮かべるだけでも、これだけの現実がある。これで「日本がひとつのチーム」だとか「絆」だとか、そうした物言いを本気で信じられるほど、私はお人好しではない。
 もっと言えば、今回の原発事故で最も被害を受けた福島県民に限定しても、「ひとつのチーム」というには程遠いようだ。子供を県外に避難させると「逃げるのか」「卑怯者」呼ばわりされ、マスクをしているだけでも「恐怖心を煽る」と非難される。被曝を気にして学校で牛乳を飲まないだけでも白眼視されるので、子供が「病気になってもいいからみんなと一緒に牛乳を飲みたい」と親に泣きつくという。
 そのような状態で「ひとつのチーム」だとか「絆」とかの言葉を持ち出すこと自体、私にはブラックジョークとしか思えないが、どうも日本人はこうした物言いを肯定したがるきらいがある。

 先日、CSの「朝日ニュースター」を見ていたら、ある番組内で外国人の特派員記者が、「絆」という言葉は母国語に翻訳しにくい、と語っていた。英訳すると「bond」になるのだろうが、英語で言うbondは、一対一の人間同士の関係に、愛情とか尊敬とか、何らかの裏付け(根拠)がある結びつきであり、今、日本で多用されている不特定多数の日本人同士による「絆」とは、微妙にニュアンスが異なる気がする。たとえばアメリカ人は、同じアメリカ人だというだけで「絆」という言い方はしないような気がするのだ。
 一例を挙げると、あなたはまったく知らない日本人に「千円貸してくれ、必ず返すから」と言われて貸すだろうか。貸さないだろう。では、その人柄に全幅の信頼を置いている外国人に同じことを言われたらどうだろう。そこで、この外国人に千円を貸すのが、言葉本来の意味の「絆」だと私は思う。
 にも関わらず、世間は「絆」とか「日本がひとつのチームなんです」のような物言いが流通している。それが建前だとしても、そうした物言いを通じさせてしまう空気や、その物言いに潜むウソを排除して、物事の本質を見ようという努力をしないと、日本はどんどんダメになっていってしまうだろう、というのが、私の言いたいことである。
 先ほどアメリカ人の例を出したが、日本人にはいまだに単一民族幻想というものがあり、それがこうした「絆」幻想を生む元になっている気もする。実際、日本人といっても九州と東北の人では、言語(方言)のみならず顔立ちや体格も異なっているし、大陸から様々な血が混じってきた歴史がある。「国家は幻想である」と看破したのは、先頃亡くなった吉本隆明だが、島国である日本には、そうした幻想を生みやすい土壌があるのだろう。しかし、そうした幻想=勘違いが、一方で在日韓国人や中国人などを差別する心性にもつながっている。そういう島国根性が大嫌いな私は、日本もアメリカのように世界各国の人を広く受け入れ、多民族国家になってしまえばいいと思っている。そうすれば、今回の原発事故でも、世界から見てあり得ないような政府や電力会社のありようや対応にはなっていないだろう。

 何度でも繰り返すが、「日本はひとつのチーム」ではないし、日本人同士の「絆」なんてものも存在しない。世界のどの国の人間でもそうだが、その立場立場で利害が相反し、意見が異なるのが人間である。もちろん、現在のように東北に住む人たちが危機的状況にあるとき、同じ日本人として助けたい、力になりたいと思うのは同国人として当然の感情だ。私にしても、額は少ないが東北に義援金を送ったこともある。しかし、それはワールドカップで日本を応援するようなものだ。つまりナショナリズムであり、「絆」とは違う。

 まず「日本はひとつのチームじゃない」という意識を、すべての日本人が持つこと。その上で、意見や立場の異なる自分たちが共存するこの日本という国を、どういう国にしていきたいかを、それぞれが考えること。以前とはまったく景色の異なる、3.11以降を生きる私たちは、そこから始めないと、何も始まらないと思う。

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