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2011年12月18日 (日)

日本に民主主義は無理なのかもしれない、と思う。

 自分が今、定期的に読んでいる唯一の雑誌が、渋谷陽一責任編集の『SIGHT』という季刊誌である。http://ro69.jp/product/magazine/9
 その最新号が出たので、つらつら読んでいるのだが、衝撃的だったのが、山田真という東京・八王子の小児科医のインタビュー記事だ。
 この人は今年6月より福島に赴いて子供たちの健康相談会を行っているのだが、このインタビューでは、なかなか公にされない福島の現状が具体的に語られている。
 山田氏によると、小さな子を持つ母親たちは、放射能について周囲に何かを語ったりしてはいけないのだそうだ。たとえば、福島県内では、(これも驚くべきことに)福島産の米や野菜が、いまだに学校給食に使われている。彼女たちがそれについての不安を口にすると、逆に周囲に責められるのだという。
 どう考えてもおかしいのだが、しかし、この福島という地は、あの「100ミリシーベルト以下なら全然大丈夫」「笑ってる人には放射能の影響はない」で有名な山下俊一という医者を、県の放射線リスク管理アドバイザーと県立医科大学副学長に就任させるようなところである。現在でも、県主催の健康相談や健康診断は、この山下の主導で行われており、山下はそうした健康診断で、「放射能による健康被害なんてないので、こんなことはやらなくてもいいんだけど、心配な人たちのためにやります」と放言しているそうだ。
 もちろん、誰だって「あなたの子供は被曝してます」と言われるより「大丈夫です」と言われて安心したいだろう。山下はそうした親心につけ込んでいるわけだが、その「大丈夫です」を信じたいという心が、いつしか「大丈夫じゃないのでは?」という意見を排除するようになっていったのではないか。しかし、それは明らかに「洗脳」だ。洗脳された親たちが、疑問を持つ=「まとも」な親たちを迫害する。それはまさに自由な言論を封じられた、かつての社会主義国家時代の旧ソ連や旧東ドイツであり、今の北朝鮮と同じである。

 この記事を読んで思ったのだが、実はこれは、福島だけのことではないのである。

 実際、今回の原発事故が起きるまで、自分を含めた多くの日本人は、原発がこれほど危険な存在であるということに、思いが至らなかった。それはつまり、「原子力ムラ」によるPRが成功していたということで、我々はその巧みな宣伝工作によって、程度の差はあれ、ゆるやかに洗脳されていたわけだ。
 そして、こんな大事故が起こっても、まだその洗脳から解けない人たちも多くいる。
「そうかといって、原発がなくなったら代わりのエネルギーがないんでしょ?」「電気代上がるんでしょ?」「あの事故は大津波が起こったからで、他の原発は安全なんでしょ?」と思ってる人たちである。さらに一昨日の野田総理の「原発事故収束宣言」で、「ああよかった。もう原発は大丈夫なんだね。除染すれば福島の人たちも帰れるんでしょ、よかったね」と思う人たちも増えただろう。読売新聞や産経新聞、地上波のテレビニュース程度しか見ないような人は、そう思っても仕方がない。そういう情報しか、マスコミが流さないからだ。

 原発がなくなっても電気は足りるとか、原発がもっともコストが高いとか、地震で原子炉が破壊された可能性が高いとか、いくら除染しても雨が降ればパーになるとか、そうした情報は、ネットでも他のメディアでも、探す気になれば出ている。しかし、多くの日本人は、そうした情報を知ろうとしない。今まで自分が与えられていた、ある限定されたメディアからの情報を、疑おうとはしないのだ。
 
 しかし。今回の原発事故で、日本人は学んだはずだ。政府や東京電力が発表する情報が、いかにウソだらけで信用できないものだったかを。
 にもかかわらず、なのである。にもかかわらず、福島の親たちは「放射能は安全です」と信じたがるし、他の地域に住む多くの人々も、「原発はもう大丈夫」と思いたがる。それは、俺から見ると、「だまされたがっている」ようにしか思えない。
 
 そして、この「だまされたがり体質」は、別に今に始まったことでもないのだ。

 66年前に完膚無きまでの敗戦で終わった、あの戦争は、満州事変から日中戦争、そして米英など連合国との戦争に発展し、「十五年戦争」とも呼ばれたあの一連の戦争中、日本国民は情報統制され、真実を知ることが出来なかったといわれている。だが、もっと言えば、真実を「知ろうともしなかった」=情報を疑ってみようとしなかったのではないか?
 なぜそう思うかといえば、少なくとも大正から昭和初期、日本は比較的自由な気風の国だったはずだからだ。大正デモクラシーがあり、モボやモガが闊歩する。それは都会のことだけだったのかもしれないが、そうした自由さを奪われて、「おかしい」と思う人間は、本当にいなかったのか? それは、もともと日本人が持つ、他人任せ=誰かにだまされたがるという体質ゆえのことなのではないか?

 まあ、戦争のことは実際体験していないので推測に過ぎないが、実際体験したものでも、そう思う根拠はある。それは昭和天皇の崩御前後のことだ。
 昭和天皇が吐血したのが昭和63(1988)年9月。それから崩御までの約4ヶ月、この国を覆っていた、なんとも重苦しいムードは、体験していない人には伝えるのが難しい。

 あの頃、「自粛」という言葉で、さまざまなイベントが中止になった。セ・リーグ優勝の中日は「祝勝会」を「慰労会」に変更し、ビールかけは「自粛」。日産のセフィーロという車のCMで井上陽水が言う「お元気ですか〜?」というセリフも差し替えになった。一般市民の忘年会や新年会も「自粛」。そして、昭和64年1月7日、昭和天皇崩御のニュースが流れると、それから3日間、全テレビ局はニュースと追悼番組(もちろんネガティブな話題は皆無)ばかりを流した。そして、まだ闘病中だった昭和63年12月、議会で質問に答えて「昭和天皇に戦争責任はある」と発言した、長崎市の本島市長が、崩御後の平成元年1月18日、右翼から銃撃された。
 
 もちろん、これらの「自粛」は、誰に言われたわけでもない。日本人自らが自粛しましょうと言ってやったことである。だが、「自粛しない」ことを許さないムードというのが、あの頃は確実にあった。あれは明らかな、言論封殺である。

 福島の親たちや、原発についての世論の動きを見ていると、そうした日本人のメンタリティが、まったく変わっていない気がしてならない。これらは一種の集団心理なのだろうが、客観的真実や合理性よりも、「そのときの多数派になびいてしまう」という心性が、日本人に抜きがたくある以上は、「個人として物事を考え、実行する」という民主主義社会は、日本では無理だと思う。

 「近代民主主義」とは、国民主権、基本的人権、三権分立によって成り立つものだ。もっと簡単に言えば、人間ひとりひとりの自由と平等を尊重するのが民主主義であり、日本国憲法にもそれは明記されている。
 しかし、誰かに与えられたもの(他者)に従う社会なら、自分個人の考えやそれによる行動=すなわち「自由」を放棄しているわけで、それは民主主義ではない。

 確かに、民主主義は、アメリカに与えられたものだから、そもそも、日本人にそぐわなかったのかもしれない。なんでも自分の頭で考えて行動するというのは、確かにめんどくさいことだし、自分が今まで出会った人の中でも、それが本当の意味でできている大人というのは、そう多くない気がする。
  
 けれど、それができなければ、たぶんこの国はずっと変わらない。それだけは確かだ。

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コメント

百姓の国だから無理ですよ。
例えば、東京って、地方から馬鹿みたいな数の若者が出てきますよね。
ボクもあなたもそうだと思うけど。
こいつらって、地元の目がないと不道徳極まりない。
結局、日本人って、神のない民族だから、他人の眼が一番気になる。
村八分が一番怖いんだ。これはDNAレベルで染み付いてる。
逆に言えば、他人の眼、自分を幼少の頃から、親も含めて知っている眼がなければ
ある意味、世界中のどの民族よりもクソになれる。
日本に民主主義なんて、明治時代から無理なのは明らかだ。
それなのにノンキな顔をして生きてきた輩こそが罪人なのだ。
賢者たちよ、武装蜂起せよ!

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