2012年4月18日 (水)

「トップギャラン・クロニコル」無事終了!

以前、このブログで告知した森田公一とトップギャランのイベント「トップギャラン・クロニコル」が、去る16日の夜、東京は高円寺「円盤」で行われました。

…と、人ごとのように書いてますが、私が司会進行を務めさせていただきました(笑)

当日は月曜にもかかわらず、トップギャランのライブの常連さんや、カバーライブを行う「ムード歌謡の貴公子」田渕純さんのファン、それからトップギャランに興味を持つ、(たぶん自分より)若い方などで会場は満席。立ち見のお客さんも出た盛況ぶりでした。ゆっくり座って見られなかった人、ごめんなさい。

内容は、予告通り第一部が「音盤トークショー」として、トップギャランの歴史を、実際にレコードをかけながらたどるもので、オープニングはやはり「青春時代」からスタート。そして、ゲストでお招きしたトップギャランのベース・小原重彦、ギターの原田正美の両氏とともに、まず「前史」からたどりました。お二方がプロとして初めて参加したバンド「荒木一郎とマグマックスファイブ」の話から、小原さんの「スカイ・ホークス」、原田さんの「ポニーズ」をはじめ、メンバーがトップギャラン以前に参加していたGS(グループ・サウンズ)バンドなどを、実際の音をかけつつ紹介。大のトップギャランファンであると同時に、大のGSマニアでもある田渕純さんも加わり、超マニアックな質問をお二方に浴びせておりました(笑)。また、この際に、マグマックスファイブが出演した荒木一郎主演、大島渚監督の映画『日本春歌考』のDVDも紹介。40年以上前の異常に若い小原&原田さんの様子に、会場はどよめいておりました。

なお、この第一部で紹介した曲は以下の通りです。
「青春時代」(森田公一とトップギャラン)EP
「恋のグアム島」(トップギャラン)EP
「いとしのマックス」(荒木一郎とマグマックスファイブ)CD~iPhone
「ブルーエンジェル」(ポニーズ)Youtube~iPhone
「星の王子さま」(スケルトンズ)ニコニコ動画~iPhone
「サイケな街」(万里れい子)CD~iPhone
「二人で踊ろう」(原トシハルとBアンドBセブン)CD~iPhone
「キープ・クリーン」(トップギャラン)東京ガス販促ソノシート
「時は変る(キープ・クリーン)」(トップギャラン)EP
「アフリカの雪」(森田公一とトップギャラン)EP
「長距離バス」(森田公一とトップギャラン)EP
「地球最後の日」(森田公一とトップギャラン)LP『青春時代』

引き続いての第二部は、田渕純さんによるカバーライブ。徳田もピアノを随所で間違えながら(笑)なんとか伴奏させてもらいましたが、純さんの美声に会場はうっとり聴き惚れていたようでした。そしてラスト3曲は、小原&原田の両氏もコーラスとギターで参加。ぶっつけ本番とは思えない、息の合った演奏だったと思います。純さんも「感激です」と言ってましたが、自分もピアノを弾きながら、トップギャランとともに演奏していることに、非現実感というか、夢の中にいるような不思議な気持ちで一杯でした。

セットリストは以下の通りです。
「乳母車」
「別れ煙草」
「中央線お茶の水」
「酒場の花」
「雨降る街角」(ポニーズのカバー)
「リボンの娘」(スカイ・ホークスのカバー)
「俺たちの宝島」(徳田)
「弓掛川」(徳田)
「友が偉く見える日」(徳田)
「二日酔い」
「下宿屋」
「マリーこれが涙だ」
「人間はひとりの方がいい」

なお、第一部の「音盤トークショー」は、東芝時代までしか紹介できず、肝心のソニー時代などが抜けてしまったので、6月以降にパート2をやらせてもらうことも決定いたしました(日時は決定次第、お知らせします)。次回はヴォーカル・渡部玲子(万里れい子)さんや、来てくれるかどうかわかりませんが(笑)ドラムスの北村勝彦さんもお招きできたらと思っております。もちろん田渕純さんのカバーライブもやりますので、今回いらっしゃれなかった方も、ぜひお越しください。

ともあれ、小原さん、原田さん、田渕純さん、このイベントの発案者であり、会場を提供してくださった、「円盤」店長の田口史人さん、お越し下さったすべての皆さんに、この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

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2012年4月10日 (火)

いよいよ来週月曜はトップギャランイベント!

うかうかしているうちに、以前お知らせしたトップギャランのイベント開催日が迫ってきました。来週月曜、つまり16日の夜、お暇な方は高円寺「円盤」に遊びに来てくださいね。

今回はトップギャランのメンバーであり、元「荒木一郎とマグマックスファイブ」、元「スカイ・ホークス」、元「ポニーズ」でもある小原重彦氏、原田正美氏もゲストで来ていただきますので、トップギャランの話以外にもGS(グループサウンズ)話がたくさん聞けますよ〜。

また、「ムード歌謡の貴公子」であり、幼少時からのトップギャランの大ファンでもある田渕純さんによるカバーライブも行われます。恥ずかしながら自分も伴奏と歌でご一緒するので練習が大変です(笑)

では、お待ちしております!

「トップギャラン・クロニコル」
■日時 2012年4月16日(月)19:30~22:00(開場19:00)
■場所 「円盤」 
東京都杉並区高円寺南3-59-11五麟館ビル2F(JR高円寺駅南口より徒歩5分)
TEL 03-5306-2937
■出演 小原重彦、原田正美(トップギャラン・メンバー) 田渕純  司会進行/徳田満
■料金 1,500円

円盤ホームページ
http://enbanschedule.blogspot.com/2010/05/12.html

田渕純ホームページ
http://www.tsukui.ne.jp/jun/

2012年3月17日 (土)

「日本はひとつのチーム」じゃないんです。

「日本がひとつのチームなんです」
 一年前、この言葉を発するCMが飽きるほど流れていたことを忘れた人は、おそらくいないだろう。
 言うまでもなく、これは東日本大震災を受けてAC(公共広告機構)が急遽制作したもので、通常のスポンサーがCMを自粛した代わりに、朝と夜とを問わず放送され続けた。そしてこの当時から、私はこのCMが大嫌いだった。
 ところが、3.11から一年を迎えるにあたり、テレビや新聞など大手マスコミが大合唱したのは「絆」という言葉。まさに「日本がひとつのチーム」として頑張りましょう、というメッセージだった。もちろん、私はこれにも嫌悪感を持った。
 なぜ私が、そうした言葉について拒否反応を示すのか。簡単に言えば、それはウソだからである。「日本はひとつのチーム」ではないからだ。

 もし「日本がひとつのチーム」だとしたら、なぜ東京電力は、政府は、経産省や文科省は、原発事故や放射性物質による被害についての正確な情報を国民に伝えなかったのか。なぜテレビに出てくる学者たちは、放射性物質の危険性について正しく語らなかったのか。なぜマスコミは、それらの情報を検証せず、ただ国民にそうした「大本営発表」を垂れ流したのか。
 過去のことだけではない。今なお、政府は原発事故が収束したと宣言し、立地自治体の住民はじめ国民の多くが反対、あるいは不安視している原発を再稼働させようとしている。それに電力会社はもちろん、経団連や大手銀行といった大手企業も乗っかっている。
 ご存じの通り、原発事故はまったく収束していない。福島第一原発からは、今も少なからず放射性物質が出続け、大気や土壌、海や川、つまり日本の国土すべてを汚染し続けている。しかし、大手新聞や地上波テレビは、まるで原発事故が「終わったこと」でもあるかのように、そうした事実に触れようとはしないし、原発事故以来、各地で盛り上がっている反原発・脱原発運動の報道も、ほとんどしない。
 その一方で、マスコミは、政府が推し進める瓦礫の広域処理を後押しするような報道を続けている。確かに「絆」を謳うには、全国が「痛み」を分かち合う広域処理は、一見妥当なことのように思える。しかし、実は広域で処理するものは、東北で出た瓦礫の20%に過ぎない。当事者である東北の首長らも、地元で処理すれば雇用も生まれるし、再利用の手立ても容易だから、自分たちでやらせてほしいと発言している。さらに瓦礫に含まれる放射性物質の正確な値も不確かなままなので、受け入れ先の各自治体住民は反対・不安視している。
 ざっと思い浮かべるだけでも、これだけの現実がある。これで「日本がひとつのチーム」だとか「絆」だとか、そうした物言いを本気で信じられるほど、私はお人好しではない。
 もっと言えば、今回の原発事故で最も被害を受けた福島県民に限定しても、「ひとつのチーム」というには程遠いようだ。子供を県外に避難させると「逃げるのか」「卑怯者」呼ばわりされ、マスクをしているだけでも「恐怖心を煽る」と非難される。被曝を気にして学校で牛乳を飲まないだけでも白眼視されるので、子供が「病気になってもいいからみんなと一緒に牛乳を飲みたい」と親に泣きつくという。
 そのような状態で「ひとつのチーム」だとか「絆」とかの言葉を持ち出すこと自体、私にはブラックジョークとしか思えないが、どうも日本人はこうした物言いを肯定したがるきらいがある。

 先日、CSの「朝日ニュースター」を見ていたら、ある番組内で外国人の特派員記者が、「絆」という言葉は母国語に翻訳しにくい、と語っていた。英訳すると「bond」になるのだろうが、英語で言うbondは、一対一の人間同士の関係に、愛情とか尊敬とか、何らかの裏付け(根拠)がある結びつきであり、今、日本で多用されている不特定多数の日本人同士による「絆」とは、微妙にニュアンスが異なる気がする。たとえばアメリカ人は、同じアメリカ人だというだけで「絆」という言い方はしないような気がするのだ。
 一例を挙げると、あなたはまったく知らない日本人に「千円貸してくれ、必ず返すから」と言われて貸すだろうか。貸さないだろう。では、その人柄に全幅の信頼を置いている外国人に同じことを言われたらどうだろう。そこで、この外国人に千円を貸すのが、言葉本来の意味の「絆」だと私は思う。
 にも関わらず、世間は「絆」とか「日本がひとつのチームなんです」のような物言いが流通している。それが建前だとしても、そうした物言いを通じさせてしまう空気や、その物言いに潜むウソを排除して、物事の本質を見ようという努力をしないと、日本はどんどんダメになっていってしまうだろう、というのが、私の言いたいことである。
 先ほどアメリカ人の例を出したが、日本人にはいまだに単一民族幻想というものがあり、それがこうした「絆」幻想を生む元になっている気もする。実際、日本人といっても九州と東北の人では、言語(方言)のみならず顔立ちや体格も異なっているし、大陸から様々な血が混じってきた歴史がある。「国家は幻想である」と看破したのは、先頃亡くなった吉本隆明だが、島国である日本には、そうした幻想を生みやすい土壌があるのだろう。しかし、そうした幻想=勘違いが、一方で在日韓国人や中国人などを差別する心性にもつながっている。そういう島国根性が大嫌いな私は、日本もアメリカのように世界各国の人を広く受け入れ、多民族国家になってしまえばいいと思っている。そうすれば、今回の原発事故でも、世界から見てあり得ないような政府や電力会社のありようや対応にはなっていないだろう。

 何度でも繰り返すが、「日本はひとつのチーム」ではないし、日本人同士の「絆」なんてものも存在しない。世界のどの国の人間でもそうだが、その立場立場で利害が相反し、意見が異なるのが人間である。もちろん、現在のように東北に住む人たちが危機的状況にあるとき、同じ日本人として助けたい、力になりたいと思うのは同国人として当然の感情だ。私にしても、額は少ないが東北に義援金を送ったこともある。しかし、それはワールドカップで日本を応援するようなものだ。つまりナショナリズムであり、「絆」とは違う。

 まず「日本はひとつのチームじゃない」という意識を、すべての日本人が持つこと。その上で、意見や立場の異なる自分たちが共存するこの日本という国を、どういう国にしていきたいかを、それぞれが考えること。以前とはまったく景色の異なる、3.11以降を生きる私たちは、そこから始めないと、何も始まらないと思う。

2012年3月16日 (金)

トップギャランイベント、4/16へ延期のお知らせ

 先日お知らせした、3月29日の高円寺「円盤」での「森田公一とトップギャラン」イベントですが、急遽、トップギャランに仕事が入ってしまったため、延期となりました。

 新たな開催日は、4月16日(月曜)です。開催時間は変わりません。内容は、一部がトップギャランのレコードをかけながら、バンドの歴史を紹介。二部では「ムード歌謡界の貴公子」田渕純さんによる、トップギャランのカバーライブをお送りします。
 また、小原重彦氏に加え、新たにギターの原田正美さんもトークに加わっていただくことになりました。トップギャラン以前におふたりが活動していたスカイ・ホークスやポニーズなど、GS(グループサウンズ)時代の話も、たっぷり聴けるはずなので、お楽しみに!

「トップギャラン・クロニコル」
■日時 2012年4月16日(月)19:30~22:00(開場19:00)
■場所 「円盤」 
東京都杉並区高円寺南3-59-11五麟館ビル2F(JR高円寺駅南口より徒歩5分)
TEL 03-5306-2937
■出演 田渕純 ゲスト/小原重彦、原田正美(トップギャラン・メンバー) 司会進行/徳田満
■料金 1,500円
(お問い合わせは「円盤」まで)

円盤ホームページ
http://enbanschedule.blogspot.com/2010/05/12.html

田渕純ホームページ
http://www.tsukui.ne.jp/jun/

2012年3月 5日 (月)

田渕純のライブもある「森田公一とトップギャラン」のイベント開催!!

 えー、突然ですが、来る3月29日(木)の夜、マニアックな品揃えで知る人ぞ知る高円寺のCDショップ&イベントスペース「円盤」で、あの「青春時代」で知られる「森田公一とトップギャラン」のイベント「トップギャラン・クロニコル」が開催されます。

 実は、私が編集・執筆し、昨年秋に刊行した『森田公一とトップギャラン メモリアル・ブック』を、このお店に置かせてもらったところ、店長で、音楽ライターとしても知られる田口史人さんや、本を手に取ったお客さんから「実際の音を聴きたい」という声が上がり、では、ということで、当時のレコードをかけながら、トップギャランの歴史をたどるイベントを行うことになったわけです。

 しかも、あの「和田弘とマヒナスターズ」最後のリードヴォーカルであり、「ムード歌謡の貴公子」としてカルト的人気を誇る田渕純さんも参加。彼が大のトップギャランファンであることから、トップギャランのカバーライブも行います!

 当日は、トップギャランのメンバーである、ベースの小原重彦さんもゲスト参加が決定! トップギャランのエピソードはもちろん、小原氏がトップギャラン以前に所属していたGS(グループサウンズ)時代の話も聞けるかも…ということで、まさに昭和の歌謡ポップス史の知られざる一面が披露されることになるでしょう。

 トップギャランファンのみならず、昭和歌謡&ポップスファンにとっても見逃せないイベント。平日ではありますが、万事お繰り合わせの上、ぜひご来場ください!!

「トップギャラン・クロニコル」
■日時 2012年3月29日(木)19:30~22:00(開場19:00)
■場所 「円盤」 
東京都杉並区高円寺南3-59-11五麟館ビル2F(JR高円寺駅南口より徒歩5分)
TEL 03-5306-2937
■出演 田渕純 ゲスト/小原重彦 (トップギャラン・メンバー) 司会進行/徳田満
■料金 1,500円
(お問い合わせは「円盤」まで)

円盤ホームページ
http://enbanschedule.blogspot.com/2010/05/12.html

田渕純ホームページ
http://www.tsukui.ne.jp/jun/

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2012年2月15日 (水)

日本は「組織の論理」で滅びゆく。

 かなり前の話になるが、たまに「ランチタイム雑談会」を行っているフリーライターのO君と昨年秋、練馬区のパスタ屋で、前々から疑問だったことを訊いてみた。

「東京電力の勝俣会長とかは家族を海外に逃がしてるらしいけど、下っ端の社員とか保安院とか、他の原子力ムラの人たちがみんな、そういうことをしてるわけではないよね。そういう人って、自分の子供や孫が放射能被害に遭うことが心配じゃないのかね?」

 すると、O君は、そんなことはわかりきったことだという顔をして、こういう意味のことを言った。
「徳田さん、世の多くの人たちは、自分のやってる仕事のことしか頭にないんですよ」

 O君は続ける。
「なんで、過労死とか、仕事のストレスで自殺する人が多いかということですよ」
「そうそう、俺はあれも理解できない。なんでたかが仕事で死ななきゃいけないんだろね。それくらい仕事が大変なら休んだり、辞めて他の仕事したらいいと思うけど」
「でも日本人の男性の多くは、仕事こそが自分のアイデンティティだと思ってるんですよ。それがなかったら自分は存在しない、と」
「だから、その仕事以外のことは二の次になると?」
「そういうことです」

 確かに、自分も編集者やフリーライターをしていた頃は、仕事が嫌いではなく、時には残業や無理をして働いたこともあった。けれど、それが自分のすべてだと思ったことはない。本を読んだり映画を観たり、音楽を聴いたり、バンドをやったりするのは、一般的に「趣味」とされることだろうが、自分にとっては仕事と同等かそれ以上に大事なことであり続けている。

 それと、たとえ仕事が自分のすべてだとしても、もうひとつ大事なことが「原子力ムラ」の住人たちには欠けている。それは「自分のしていることを客観的(批判的)に検証する」ということだ。
 自分は世間的には日陰の存在であるアダルトのジャンルでも長く仕事をしてきたが、そういう分野でも、世間的な常識に反していたり、間違っている(ウソの)情報は、極力チェックして流さないようにした。それをしてしまえば、読者を裏切ると同時に、その仕事をしている自分自身をおとしめてしまうからだ。それで出版社側ともめ、連載を打ち切られたこともあったが、全く後悔はしていない。
 まあ、みんながみんな、そういう問題を起こせばいいとは思わないが、「自分なりの仕事に対するモラルや信念を持つ」ということは、自分の中ではその仕事に対する誠意だと思っているので、それがどんな仕事でも変えたことはないつもりだ。

 しかし、「仕事がなくなったら自分もない」と思っている多くの日本人男性に、そうした覚悟があるのかどうか? 俺はあまりないと見る。なぜなら、彼らの言う「仕事」とは、イコール「会社」だからである。彼らは仕事が好きなのではなく、会社が好きなのだ。それは大手企業であればあるほどそうだろう。待遇はもちろんいい。自分自身はさほどたいしたことをしていなくても、「●●に勤めている」というだけで世間のあたりもいい。東京電力なんて、3.11以前はその意味で超優良企業だった。
 そういう人たちに「仕事に対する信念とか覚悟」を求めても無理である。彼らはおそらく定年まで、その「●●」に居座る、いや失礼、勤め上げるつもりなのだから、その企業の上司とか上層部に逆らってでも自分の信念を訴えるなんてことは、自分の立場を危うくするだけなので、たとえ疑問が浮かんだとしても、絶対にやらないだろう。
 今回の原発事故だけではない。オリンパスの問題も、ちょっと前のユッケ食中毒も、普通に考えたら「ちょっとおかしいんじゃないの」と思えるはずだが、社員や従業員たちが「組織の論理」に(意識していようがしていまいが)縛られていたからこそ起こった事件である。そういうことが、最近の日本社会には非常に多いように感じる。
 よく「管理化社会」と言われるが、違う。自ら組織に「管理化」されることを望む人が増えた「主体性放棄社会」というのが正しいのだ。主体性を放棄した人間が生み出すものが、活力があったり面白いわけがない。だから、物が売れない。景気が悪い、社員はクビを切られたくないからますます保守的になる。悪循環である。

 話を戻す。日本の企業に勤めるサラリーマンの大半がそういう意識になった結果、起きたのが福島第一原発事故という「人災」だと思う。
 東電はもちろん、経産省や文科省などの役所、関連企業、研究施設(大学・大学院)、政府・政党、マスコミ。これらに所属・従事するすべての人間が、企業(組織)の論理に従った結果が、あれだったのである。元経産省の古賀茂明氏のように、自分のクビをかけても言いたいことを言う人がもっといれば、防げたはずだ。

 そして、日本全土を放射能で汚染してしまった、歴史的大事故・大事件にもかかわらず、いまだに政府や経団連は「経済成長」を唱え、そのための「原発再稼働」をもくろんでいる。つまり、事故からまったく何も学んでいないのだ。

 バカじゃねえか? 

 いや、ホントにバカとしかいいようがない。
 
 そして日本国民の多くが、またそのバカどもにだまされようとしている。
 
 たとえば、自分の住む東京都は、まさに「経済のためには原子力再稼働」を主張する石原慎太郎が都知事をやっているが、昔、太陽族に憧れたじいさんばあさんは、いまだに「東京オリンピック」という高度成長の夢を見続ける、この認知症老人を支持し続けている。こういう老人たちが、みんなまとめてとっととくたばってくれれば、現役以降の世代が少しは楽になるんですがねえ?

2012年1月16日 (月)

このままなら、日本は滅びると思う。

 ふと思ったんだが、おそらくこのまま行けば、この国は遠からず滅ぶだろう。

 なぜかといえば、若者や子供がいなくなるからである。

 ただでさえ、長引く不況で若者たちは職を見つけることさえ容易ではない。厚生労働省によると、2011年10月現在の日本の完全失業率は4.5%だそうだが、15〜24歳に限ると8%にも上る。続いて多いのが25〜34歳で、5.4%。
 さらに原発事故による放射能で、若者や子供たちは生命を脅かされており、若い女性は子供を生むことさえ躊躇せざるを得ない。
 にもかかわらず、政府は消費税を増税しようとし、各地の原発を再稼働させようとしている。そうした政策に同調しているのは、一部の富裕層、および既得権益の受益者。それらの多くは中高年以上の年寄りたちであり、負担は、すべて若者や子供たちにのしかかってくるのである。

 将来への夢や希望が持てず、命さえ危ない。放射能の被害も、数十年、原発の廃炉や核燃料廃棄物などの処理を含めれば、数百年先までの世代が負担を強いられる日本。そんな国に、若者たちがいたいと思うだろうか。自分がいま、20代だったら、とっとと見切りを付けて海外へ出て行くだろう。しかも、自分が20代だった頃と違って、インターネットの普及している今、世界は決して遠くないと思っている若者は少なくないはずだ。
 そう考えると、これからどんどん、若者の国外流出は増えていくだろう。現役世代は急激に減り、将来を託すべき子供も生まれないことになる。つまり、日本は老人ばかりの国になり、すでに実質的に崩壊している年金制度は、完全に消滅する。一部の富裕層と既得権益にしがみつく官僚、政治家、実業家、学者なども、自分たちを下支えしてきた層がいなくなるので、国外へ逃げていくはずだ。
 残るのは、経済的事情や、思想信条などの理由で外国には行けない/行きたくない中高年たちだけ、ということになる。それがどのくらいの数になるのかはわからないが、いずれにしても労働人口は激減するので、国全体が過疎の村のようになっていくだろう。
 
 それが、原発という途方もないものを受け入れ、拝金主義に走った戦後の日本人の行く末だと言われれば、仕方がないのかもしれない。
 しかし、まだ変われるチャンスはある。自分たちの利益を考えるのではなく、若者や子供たちに夢と希望を与えられる政策を取ること。原発を止めて、彼らやその後の世代が安全に生きていける環境を作ること。それを実行できる政権を、今度こそ選ぶと同時に、国民投票などで、自分たちが積極的に政治へ関わること。大人たちの多くがそういう姿勢を示すことができれば、日本はまだ再生できるだろう。

 ただし、これが最後のチャンスだと思うが。

2012年1月 2日 (月)

おとうさん、げんぱつってそんなにだいじなの?

 もうきょねんになっちゃったけど、ふくしまでげんぱつがばくはつした。
 
 ほうしゃのうがたくさんでて、たくさんのひとがひなんして、いろんなたべものやのみもの、とちやかわが、おせんされたんだよね。
 
 ほうしゃのうはとくに、ぼくみたいなこどもにわるいんだよね。
 ぼくもまいにち、いろんなものたべたりのんだりしてるけど、だいじょうぶかな。
 いまだいじょうぶでも、なんねんかたったら、だいじょうぶじゃなくなるのかな。
 おんなのひとは、あかちゃんうめなくなったり、まえにげんぱつじこがあった、ちぇるのぶいりでは、うまれても、せいじょうなこじゃないこともあるってきいたけど、ほんとうなのかな。ぼくは、おなじくらすのかなちゃんがすきなんだけど、かなちゃんもこども、うめなくなるの?
 
 ぼくはいま、とうきょうにすんでるけど、ふくしまには、いまもたくさんこどもがすんでるんだよね。
 そのこどもたちは、ひなんしなくていいの?
 もし、ひなんしなくて、そのこたちがおおきくなって、いろんなびょうきになったり、おとなになって、あかちゃんできなくなって、そういうこどもたちに
「どうしてあのとき、ひなんさせてくれなかったの」
ってきかれたら、そのこのおとうさんやおかあさんは、なんてこたえるんだろう?
 おかねがなかったから?
 いっしょにくらしたかったから?
 でも、それは、こどものけんこうよりもだいじなことなのかな?
 もしぼくのうちがふくしまにあったら、おとうさんはどうするんだろう?

 それから、これもすごくふしぎなんだけど、このだいじこをおこした、とうきょうでんりょくは、だれもせきにんをとってないのかな。
 ぼくはいつも、おとうさんに
「ひとにめいわくをかけるな」
「めいわくをかけたら、あやまって、せきにんをとらないといけない」
「どんなえらいひとでも、わるいひとをしたら、けいさつにつかまるんだよ」
っていわれてる。
 とうきょうでんりょくは、しっぱいして、ほうしゃのうをいっぱいだしたんだよね。さぎょういんのひとも、なんにんかわからないけどしんでるっていってた。でも、けいさつにもつかまってないみたい。それは、わるいことじゃないのかな。

 それと、きゅうしゅうでんりょくで「やらせめーる」じけんがあった。ぼくはくわしいことはわからないけど、ほかのでんきのかいしゃも、げんぱつもってるよね。それはまだ、うごいてるの? げんぱつをうごかさないと、でんきがたりないのかな。
 でも、げんぱつがじこおこして、たべものがたべられなくなったり、びょうきしたりして、みんながめいわくするなら、そのぶん、みんなででんきをせつやくして、けんこうでいたほうがいいよね。じっさい、きょねんは、でんきがふそくしなかったでしょ?
 それに、びょうきになったら、しごともできないし、こどもがうまれなくなったら、そのうちおじいさんやおばあさんばかりになって、はたらけるひともいなくなる。そうしたら、だれもでんきだい、はらえなくなる。でんきのかいしゃは、それでいいのかな。

 こないだ、おとうさんとまちをあるいてたら、げんぱつがいるかいらないか、みんなのとうひょうできめようっていうひとがはなしてて、しょめいしてっていってたね。
 おとうさんは、そのひとにはなしかけられて、むししてたけど、おとうさんはげんぱつさんせいなのかな。
 てれびでげんぱつのにゅーすをみても、おとうさんはなにもいわないけど、ぼくやいもうとがびょうきになったり、こどもをつくれなくなっても、へいきなのかな?

 それは、ふくしまのおとうさん、おかあさんも、そうなのかな。

2011年12月31日 (土)

日本が壊れた年の終わりに。

 今はなき殿山泰司が1970年代頃に書いていたエッセイで、「ニッポンの政治もガイジンに任せたらどや?」という卓見を述べていた。
 たぶん、外国人のジャズミュージシャンについて触れた文章だったと思うが、この間、ふとそれを想い出したのだ。

 なぜそれを想い出したのか、つらつら考えていたのだが、おそらく、先日、友人であるライターのO君と久々に会って話をした際、自分が、「もっと日本人に外国人の血が混ざればいい」という、かねてからの持論を展開したからだろうと思う。
 その時、なぜそういう話になったのかといえば、原発(事故)問題について、あまりにも多くの日本人が無関心だったり、政府や大手新聞、地上波テレビ局の流す情報を信じ切っていたりすることが不思議で、その理由を考えていたからだ。
 12月8日の日記に書いたように、日本人のメンタリティは、太平洋戦争当時と今と、まったく変わっていない気がする。それは、以前から言われていることではあるが、「単一民族幻想」が日本人にあるからだろうと思う。
 地続きに隣国があり、常に外国人が行き来している多くの国とは違い、島国である日本に生まれ育った我々は、「他者」というものを意識しづらい環境にあるのかもしれない。しかし、北朝鮮のように、国家による情報統制が行われているわけではない。特にインターネットが普及した現在は、世界中どこにでもアクセスできるし、知りたい情報を手に入れることもできる。どの情報が正しいか、間違っているかの検証もできるわけで、実際、今回の原発事故で、北朝鮮とは別の意味での情報統制が、ネットによって暴露された。
 にも関わらず、得ようと思えばたやすく得られる、そうした情報にあえて耳を塞ぎ、政府や地方自治体、東京電力などの電力会社が流す情報を信じ込もうとする。いや、信じていないまでも、自身の意志を明らかにせず、行動もしない。そうした日本人の姿は、どう考えても勝てるはずのないアメリカとの戦争に諸手を挙げて賛成し、大本営発表を頭から信じ込み、隣組制度など積極的に戦時体制に協力しておきながら、敗戦後に「政府にだまされた」などと言い募る60数年前と、どこが違うというのか。
 そうした人たちを見ていると、先ほど書いたように、日本人というのは根強い単一民族幻想があるか、12月18日の日記に書いたように、「個人」として自立していないとしか思えない。
 おそらくはその両方だと思うが、つまりは自分の言動について、自分で責任を取りたくないから、誰か権力者を批判することもなく、その言うとおりに動いておいて、それが失敗すれば(つまり自分の不利益になれば)誰かのせいにする。または「一億総ざんげ」などと言って責任の所在を曖昧にする。こんな卑怯な国民はないだろう。
 しかも、単一民族幻想があるがゆえに、ことさら「ガイジン」や在日韓国人、在日朝鮮人、さらに同じ日本人でありながら、部落民を差別し続ける。

 そうした日本人が、自分の思想信条を明らかにし、その言動に責任を取るためには、単一民族幻想をぶっ壊す=多国籍化することが、もっとも手っ取り早い方法だと思うわけだ。
 どのみち、このまま行けば、超少子高齢化で、この国は立行かなくなる。それを回避するためにも、世界のあらゆる国の人たちを自国民として広く受け入れることは、日本にとって大きなプラスだろう。いや、もうこれしかないとさえ思う。
 そう言うと、幼子を持つO君は、いやそれが実現すると確実に治安が悪化するので反対だという。確かに、一時的には治安は悪化するかもしれない。しかし、自分は何も無条件、無差別に外国人を受け入れろというのではない。当然の話だが、日本の風俗や慣習には従ってもらう。そうしたことを含め、何よりも日本が好きであるという人だけ受け入れるように、試験制度を取り入れてもいい。
 実際、神社仏閣や書道に通暁しているなど、日本人以上に日本文化を愛する外国人は少なくない。そういう外国人たちを受け入れることで、たとえば外国に滞在する日本人のように、改めて日本の良さに気づく日本人も増えるだろう。
 そして、彼らに直で触れ、混ざり合うことで、日本人は変わる。少なくとも現在の偏狭な差別意識は薄れ、多様な感性、価値観、思想信条を尊重し合うようになる。同時に、誰かに与えられるのではなく、自分の頭で考え、体で感じるような体質になっていくはずだ。
 まあもちろん、物事には両面があり、先述の治安問題以外にもいろんな弊害が出てくるだろうが、日本人が本当の意味で個人として自立し、日本が真の民主主義社会国家になるためには、この方法以外にない。2011年をあと一時間残して、そう思う。

 清志郎、口直しに九ちゃんと歌ってくれよ。本当の「上を向いて歩こう」を。

2011年12月28日 (水)

ところで皆さんは、「被曝上限は年間1ミリシーベルト」だと法律で決まっていることを知ってましたか?

 俺は知りませんでした。

 しかし、これは実際に法律で決まっている。
 「放射性同位元素による放射線障害の防止に関する法律」というのがあり、この施行規則の中で、一般人(放射線作業従事者以外)の被曝線量限度は、「実効線量が4月1日を始期とする1年間につき1ミリシーベルトとする」と明記されている(第14条4項)。
 この「年間1ミリシーベルト」は、ICRP(国際放射線防護委員会)が1990年に出した勧告によるもので、世界各国もこれに従っている。
 もちろん、この法律は現在でも生きている。従って、政府(文科省大臣)が今回の事故以後に出した被曝線量限度「年間20ミリシーベルト」は、れっきとした法律違反である。
 しかし、メディアはなぜかこの件について触れようとしない。

 さらに言えば、一昨日(12月26日)環境省から発表された、「除染重点地域」(福島県、栃木県、群馬県の約半分、茨城県と千葉県の一部)は、年間1ミリシーベルトを超える市町村なので、一般人は住んではいけないのだが、今でも多くの人が普通に生活している。

 実は、自分がこのことを知ったのは、図書館で借りてきた『2015年放射能クライシス』(武田邦彦著、小学館)を読んでのこと。武田氏は本書で、年間1ミリシーベルトを超える地域は、福島第一原発より300km圏内の大部分および静岡、愛知県の半分にまで及ぶとしている。自分の住む東京はじめ、首都圏は全域が1ミリシーベルト以上になるわけだ。
 その予測はたぶん、的中すると思う。なぜなら、先の「除染重点地域」は空間線量のみしか考慮されていないからで、内部被曝を計算に入れれば、優に武田氏の予測する地域住民は1ミリシーベルト以上被曝していると思えるからだ。

 ところでこの「2015年放射能クライシス」には、他にも我々被曝地域に住む(といっても、もはや日本国民のほとんどが今回の事故で被曝しているが)人間たちにとって重要なことが、いろいろ記されている。
 武田氏によると、人間(成人)が一日に浴びても自力で回復できる放射能は100ベクレル程度(約1マイクロシーベルト)だという。ところが、現在の食料の基準値は? そう、牛乳1リットルが300ベクレル(来春には新基準値が適用され、50ベクレルへと厳格化)。もちろん一日に1リットル牛乳を飲む人は少ないだろうが、他にも肉や野菜、魚などを食べるわけで、そう考えると、いかに現在の暫定基準値がとんでもない値なのかがわかる。
 それから「ホールボディカウンター」は体内のガンマ線しか測れないので、白血病や肺がんの原因とされるベータ線のストロンチウムやアルファ線のプルトニウムといった、もっとも危険な核種は検出できない。(ただしセシウム137は測定できるが、これだけでは放射線被害はほとんどわからないという)
 そもそもストロンチウムやプルトニウムは政府は測っていない。これは明らかに意図的に測っていないのであって、測定により今以上に肉や魚が食べられなくなることを恐れているとしか思えない。
 また、これはよく考えればもっともなんだが、この10ヶ月、福島や東北、関東に降り注いだ放射性物質は、旅行や出張で移動する人や交通機関に付着して、全国各地に運ばれているという指摘もあった。自分は事故以来、東京近郊より外には出ていないのだが、今更ながら、これもなんらかの対処を政府が呼びかけかけたほうがいいのではないか。
 なお、武田氏は除染のことにも触れているが、この件についてはいささか楽観視のきらいがあると思う。前回の日記で触れた「SIGHT」2012WINTER号において、放射線物理専門の山内知也氏は、「線量の高いところはアスファルトをはがすなり家を作り直しなりして、町自体を一から作り直さないと除染できない」と述べている。

 武田氏は4年後の2015年、小児の甲状腺ガンが日本国内に多発することで、原発は息の根を止められるとしているが、そこまで待たなければ変わらない国というのは、あまりに希望がなさすぎる。
 今回の事故で、妊娠や出産を控えようとする女性はさらに増えたはずだ。それでなくても就職難や低賃金などで高負担を強いられている若者たちは国外に出てしまい、非生産人口である年寄りだけが残るような「終わった国」になるだろう。

 おそらく、そうなる前に自分も日本を離れるだろうが、来年は、それがはっきりする年になると思う。「絆」とか「結束」とか、うわべだけの言葉にごまかされてる人は、泣きを見るだろうな。

«日本に民主主義は無理なのかもしれない、と思う。

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